紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 60
鏡沼〜須賀川市一里坦
Hitosh
鏡沼・西光寺 |
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鏡石本町を抜けると、広大な行方野の一本道を進むと、鏡沼地区に入る。 写真は鏡沼集落にある西光寺である。 正しくは、真言宗智山派若宮山無量院西光寺という。 江戸時代の白河風土記によると、永禄年間(1558〜1569年)、須賀川の城主二階堂氏の属臣鏡沼藤内の菩提のために開山されたとある。 また、墓所には郷士の常松次郎右エ門夫妻と、常松家十代の墓が残されている。 境内にある「たらよう」(写真中央右)は、鏡石町の天然記念物に指定されている。 樹齢250年、樹高12mの常緑高木で、モチノキ、イヌツゲと同じモチノキ科に属している。 葉の裏に棒で文字を書くと字が黒く浮き出るため、 インドではヤシ科の多羅樹の葉に経文を書いたというが、 これになぞらえて「多羅葉(たらよう)」と名付けられたようだ。 |
石仏群 西光寺の参道には石仏が集められ、一列に並べられていた。 |
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須賀川一里塚 |
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左側一里塚 | 右側一里塚 |
鏡石町から須賀川市一里坦(いちりだん)に入ると、旧街道の両側に一里塚が残されている。日本橋から59番目の一里塚で、往時は「江戸から須賀川六十里」といわれてきた。 街道の両側に残されているのは珍しく、昭和11年に国史跡に指定されている。 この辺は立派な松並木が続いていたが、第2次大戦中に伐採され、 今は数本を残すのみとなっている。 |
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