紀行写真集


旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 62

37須賀川宿南口



Hitosh


須賀川


37須賀川宿・枡形跡

千日堂を抜けると、かつての枡形があった処である。
今はほぼ直線道路となっているが、良く見ると道はやや右にカーブし、
その先で左にカーブしている。
かつての枡形の痕跡が残っているようだ。

旧街道に掛かっている横断幕には
「TSUBURAYA MEMORIARU MARATHON」と書かれてあった。
東京オリンピックで銅メダルとなった円谷幸吉は須賀川の出身で、毎年10月に、
円谷幸吉メモリアルマラソンが開催されているという。



須賀川宿南口・黒門跡

枡形を抜けると、東北電力の敷地に須賀川宿南の黒門跡の標識があった。
ここが奥州街道37番目の宿場・須賀川の南の入口であった。
黒塗りの木戸があり、番小屋も置かれていた。
朝の七ツ時(朝4時)に開門され、四ツ時(夜10時)に閉門されたという。

須賀川最大の夏祭りである「きゅうり天王祭」は、朝日稲荷に祀られている牛頭天王が、
7月14、15日にここ黒門跡に仮殿を設けて出開帳される。
江戸時代は、お諏訪様の祭礼と隔年交代であったが、今は毎年行われている。

近郷在住の善男善女がきゅうりを2本持ってきて参拝し、1本を頂いて帰る。
「きゅうり天王祭」は厄除けの神様と言われ、古くから多くの人の信仰を集めていた。

なお、須賀川は日本一のきゅうりの生産地である。



須賀川宿町並み

街道右手の由緒ある建物は、明治牛乳良生舎販売所である。
ここの主人は須賀川商工会議所の会長をされているとのこと。

この辺は、街道に沿って、木造の家が多数残されているところである。


旧街道筋の家並みである。
右側の写真の建物は知事登録小売業の米屋で、石堂米穀店と看板に書かれてあった。

須賀川宿は現在の南町、本町、中町、道場町、北町と、南北に長く続く宿場で、
岩城(磐城)街道、棚倉街道、三春街道、会津街道の追分があり、交通の要衝であった。

また、米問屋、塩問屋等があり、近在の煙草を集荷する煙草商人等も大勢集まり、
毎月3と8の付く日には六斎市が開催され、宿場としてはもとより、
市場町としても大層の賑わいであったようだ。



(福島県須賀川市南町、本町)
0910/0912

写真が一部表示されない場合は、「ページの更新」(F5キー)、又は「画像の追加」(右クリック)を行うと表示されます

前へ 目次 次へ


歩行略図
JR鏡石駅〜鏡沼〜須賀川一里坦〜須賀川宿〜岩瀬の渡し



街道写真紀行


悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

Hitosh


inserted by FC2 system