紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 65
須賀川宿中町〜池上町
Hitosh
中町あきない広場 |
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本町交差点を抜けると、中町に入る。 左側に未だ新しい、中町あきない広場があり、若者グループのライブ演奏が行われていた。 このあきない広場は、中町郵便局跡に出来た建物である。 須賀川市市民相互の交流及び賑わいの創出、産業の振興を図るために設置されたとのこと。 |
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十念寺 |
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開山は文禄元年(1592年)、浄土宗名越派の本山である下野大沢(現益子町)の 円通寺の末寺として、良岌上人により開創された寺である。 元禄2年(1689年)に、松尾芭蕉が須賀川に滞在した時に、この寺を参拝している。 それを記念して、安政2年(1855年)に、須賀川の俳人市原多代女(たよじょ)により、 芭蕉の「風流の はじめや奥の 田植え唄」の句碑が建てられている。 なお、市原多代女は、安永5年(1776年)に須賀川で生まれた。 造り酒屋に嫁入りしたが、そこの主人が31歳で亡くなり、 後を継いだ多代女は苦労しながら家業を盛り立て、その傍ら俳句に打ち込み、 全国的に有名な女流俳人となった。 90歳で亡くなるまで、4千以上の句を残している。 境内には、東京オリンピックのマラソンで銅メダルとなった円谷幸吉の墓がある。 また、境内の推定樹齢500年のイチイは、福島県の緑の文化財に指定されている。 |
市原多代女句碑 十念寺の境内にある市原多代女の句碑で、辞世の句「終に行く 道はいづくぞ 花の雲」と刻まれてある。 松尾芭蕉の句碑と、この市原多代女の句碑が指定文化財となっている。 |
金徳寺 |
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十念寺に隣接した金徳寺(こんとくじ)。 こちらは時宗の寺で、神奈川県の藤沢にある時宗の総本山清浄光寺(通称遊行寺)の 末寺である。 本山の遊行寺は旧東海道五十三次を歩いた時に立ち寄った寺で、懐かしかった。 十念寺は、伊達正宗に滅ぼされた二階堂城の城主二階堂家、美千代姫の菩提寺であった。 また、歌舞伎の2代目尾上松禄の墓がある。 |
開山塔 境内に金徳寺の開山塔がある。当寺の開山上人(7代目遊行上人)である托阿上人直筆の名号開山塔である。 名号(みょうごう)は、菩薩の名で、石塔には「南無阿弥陀仏」と見事な書体で、大きく彫られてあった。 建武4年(1377年)と説明板に書かれてある。室町幕府が成立した翌年のことである。 |
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