紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 67
須賀川・五老山〜治部稲荷坂
Hitosh
翠ヶ丘公園・翠橋 |
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翠ヶ丘公園の愛宕山から五老山への陸橋である。 五老山は赤禿山とも呼ばれ、この橋の下を「赤ッハゲ山坂」とも云うようだ。 翠ヶ丘公園は、1800本の赤松を主体とした植生が、冬でも緑の多い公園となっている。 この赤松が市の木に指定されている。 須賀川地方は赤松と相性が良く、代表的な林産物となっている。 また、市の花はぼたんで、須賀川牡丹園が、国指定の名勝となっている。 翠ヶ丘公園は、大正12年に妙見山を公園としたのが始まりで、 大正14年に二階堂氏の居城のあった愛宕山を公園に含め、 その後、昭和34年に隣の五老山も含め、本格的な都市公園として整備されたものだ。 福島県では、唯一、日本都市公園百選に選ばれている公園だ。 |
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五老山 |
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翠ヶ丘公園の五老山で、毎年11月に行われる、須賀川名物の火祭り、「松明(たいまつ)あかし」の舞台となるところである。 天正年間(1573〜1591年)、須賀川城は伊達政宗に攻められ落城した。 毎年11月に行われる、日本三大火祭りの一つである「松明あかし」は、 この時戦死した人々の霊を弔うために始められた祭りである。 「松明あかし」は、須賀川城跡に建つ二階堂神社で奉受された御神火(松明)を、 若者によって市内を一巡してから、会場となるここへ運ばれる。 また、長さ10m、重さ3トンもある、大松明が担ぎ出され、町を練り歩き、ここに運ばれてくる。 そして、運ばれてきた大松明約30本をここに立て、一斉に点火し、 松明太鼓が鳴り響くと言う豪壮な祭りである。 |
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治部稲荷坂 |
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治部稲荷神社 翠ヶ丘公園から、急な坂道・治部稲荷坂を登って、須賀川宿の中心・本町へ戻る。写真はその途中の坂である。左の写真は、坂名の由来となった治部稲荷神社である。 須賀川領主、二階堂氏の一族で、須賀川城代を務めた治部大輔を祀った神社である。 |
須賀川市街 |
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須賀川市本町交差点の近くにある、サンルートホテル須賀川の部屋の窓から 東側の市街を撮影した写真である。 こんもりした木立のあるところが、翠ヶ丘公園で、背後の山並みは阿武隈高地である。 |
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