紀行写真集


旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 70

須賀川・中宿〜上人坦



Hitosh


須賀川



釈迦堂川

中宿橋より、釈迦堂川の下流を見た写真である。
この先で、釈迦堂川は阿武隈川に合流している。左側の集落は中宿地区である。

ここから、中宿、下宿、そして森宿と宿の付く地名が続いている。
森宿は、古代の東山道の磐瀬(いわせ)駅があったところである。



中宿並木道

中宿橋を渡って、すぐ右折する。
現在の県道355号須賀川二本松線で、全線を通して、
旧奥州街道と重なっている部分が多い道である。

この写真の左側に鎌足神社があるところだ。



鎌足神社

鎌足神社の鳥居を潜り、旧な階段を登ると鎌足神社本殿がある。

鎌足神社は、藤原鎌足を祭神とする神社で、住所は上人坦(しょうにんだん)地区となり、
かつての歌枕・岩瀬の森のあった処である。
地名の上人坦は、上人檀廃寺(国史跡)からきているようだ。

鎌足神社は、藤原鎌足の子孫の波多野筑後守が、建久元年(1190)に建立したと言う。

歌枕、岩瀬の森を詠んだ歌は、紀貫之の
  「陸奥や 岩瀬の森の 茂る日に 一声暗き 初時鳥(ホトトギス)」や、
徳大寺左大臣の
  「かくとだに 思ふ心を 岩瀬山 下行く水の したかくれつつ」等の歌が残されている。

足尾神社
  鎌足神社の参道脇に、足尾神社がある。小さな社と対称的に未だ新しい大きな草鞋(わらじ)があった。そして、大草鞋の下には、多数の普通サイズの草鞋が吊り下げられてあった。
  道中安全を祈願したものであろうか。肖って拝礼。
上人坦
  鎌足神社の東側の細い道を北上すると、笠原工業の須賀川工場(写真左端)に遮られて直進できないので、右側の道を進む。
  須賀川宿の北町から岩瀬の渡し、そして此処までは、旧道が所々消滅していて、旧道を辿るのが難しいところである。
  なお、笠原工業は、大正6年に製糸業として創業した会社で、現在は発砲スチロール等の製造を行っている。


(福島県須賀川市中宿、上人坦)
0910/1001

写真が一部表示されない場合は、「ページの更新」(F5キー)、又は「画像の追加」(右クリック)を行うと表示されます

前へ 目次 次へ


歩行略図
岩瀬の渡し〜森宿〜間宿j滑川〜38笹川宿



街道写真紀行


悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

Hitosh


inserted by FC2 system