紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 71
須賀川・上人坦〜下宿
Hitosh
上人坦地下歩道 上人坦(しょうにんだん)の笹原工業須賀川工場を右から迂回すると、目の前に道路、そしてJR東北本線に遮られて、前に進むことが出来ない。地元の人に聞くと、踏み切りは廃止され、地下歩道が出来ていると言う。 言われるままに進むと、真新しい地下歩道があった(写真中央部)。平成10年から4年かけて完成したもので、自転車が通れるように階段が無く、緩いスロープとなっている。 |
上人坦・旧街道 |
上人坦地下歩道を抜けると、旧奥州街道へ復帰となる。 通学の中学生が多数歩いていた。手前左の須賀川第二中学の学生である。 この第二中が、上人坦の地名の由来となった、上人檀(しょうにんだん)廃寺跡(国史蹟)である。発掘調査の結果、7世紀後半から8世紀にかけて、律令体制の岩背国の官が(かんが)跡か 国分寺跡、あるいは国府そのものがあった所と推定されている。 |
石仏群 下宿町に入ると、左側に石仏群があった。二十三夜塔や愛馬出征記念碑等が一箇所に纏められていた。文化十年(1813年)と刻まれた二十三夜塔もあった。 |
宝来寺 |
下宿の街道左側に宝来寺(ほうらいじ)がある。 本堂前には安山岩で出来た高さ1m程の三基の阿弥陀三尊来迎(さんぞんらいごう)板碑が 建っている。鎌倉時代後期の作とのことだ。 この三尊来迎とは、念仏行者の臨終に、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が、 浄土から紫雲に乗って迎えに来ることを描いている碑である。 |
下宿・集落 |
古代から続く下宿の集落である。心なしか、立派な建物が多かった。 下宿を抜けると、森宿である。森宿は古代の東山道の磐瀬駅のあった処である。 なお、磐瀬の駅馬の配備数は規定どおりの10疋であった。 |
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