紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 73
須賀川・滑川東町〜間宿・滑川
Hitosh
筑後塚供養塔群 |
森宿を出て、滑川地区に入ると、旧街道に面して、右側に筑後塚供養塔群がある。 伊達政宗が攻めてきたとき、須賀川城主二階堂氏の家臣、 守谷筑後守が政宗に内通し、その結果落城した。 戦の後、主君を裏切った行為が許されず、政宗により成敗されたところであったので、 筑後塚と呼ばれるようになった。 実際の位置は、現在より少し須賀川よりの柏城(かしわぎ)小学校前(滑川東町)であったが、 学校建築と道路改修のため、ここに移されたという。 なお、柏城の校名の由来は、中世の柏木城よりきている。 屋根囲いの中の板碑は、その頃に作られた双式三尊来迎供養板碑である。 その他は江戸時代の庚申塔と二十三夜塔等であった。 |
三尊来迎浮彫供養塔 三尊来迎供養板碑の一枚である。飛雲(紫雲)に乗った阿弥陀如来と観音菩薩、勢至菩薩を薄肉彫りした阿弥陀三尊像を二組並べたものである。 前にも紹介したが、福島県にはこの来迎図を浮彫した板碑が多い。鎌倉時代から南北町時代に作られたもので、福島県だけで100基以上もあるという。 浄土信仰がこの地に深く浸透していた様子が伺われる。 |
旧街道・滑川東町 |
筑後塚供養塔群の前面の道である。 旧奥州街道で、かつ古代〜中世の東山道であったところだ。 旧街道はこの先で右にカーブして、滑川沿いの道となっている。 |
東町石仏群 旧街道左側に、馬頭観世音、二十三夜塔と、南妙法蓮華経と彫られた題目碑があった。この辺は石碑、石仏等が多く、如何にも街道筋らしい。 |
間宿・滑川 |
滑川沿いにある間宿・滑川の集落である。 落ち着いた雰囲気の旧街道沿いの集落であった。 |
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