紀行写真集


旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 75

須賀川・滑川十貫内〜郡山・安積町笹川



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須賀川・滑川


雷神社

清陵情報高校の裏側(北側)の小高い丘の上にある、雷(いかづち)神社。

由緒は分からないが、おそらく古代の加茂氏の祖神である
賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀った神社であろう。

なお、「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。

古道標
  雷神社の祠の隣には大きな石碑2基と赤茶けたポンプが並べて建っていた。
  石碑には「滑川地区揚水灌漑記念碑」とあった。説明によると、滑川地区の用水は嘉永3年(1851年)に改修されたものであるが、電気揚水機を設置して、米の安定収穫と増産を図った記念とある。昭和53年建立の立派な石碑であった。


JR東北本線踏切

滑川に入り、街道はJR東北本線の左側(西側)であったが、
ここで踏み切りを渡り、反対側(右側)となる。

踏み切りの先は、十貫内(じっこうち)の集落である。この地名も読めなかった。
東京の杉並区に十貫坂(じっかんさか)という坂がある。
こちらは坂周辺の土地代が十貫であったことからとの謂れがあるようだ。

さて、ここの十貫内はどうであろう。土地の人に聞いてみたが、わからなかった。
十貫とは、室町時代の武家の知行高と考えると、その領地内であったからとなる。


郡山・安積町


JR水郡線踏切

十貫内の集落を抜けると、JR水郡線の踏切となる。

水郡線は茨城の水戸駅と、ここ東北本線の安積(あさか)永盛駅を結ぶ線であるが、
実際の運行は、1駅先の郡山駅を発着している。

写真左端の高架は東北新幹線で、次の停車駅は郡山である。

郡山市境
  水郡線の踏切を渡ると、須賀川市滑川十貫内から郡山市安積町笹川となる。左写真がその市境である。
  安積町は、旧奥州街道38番目の宿場・笹川宿のあるところだ。
  5世紀から6世紀にかけて、勢力を広げた大和朝廷は、ここに阿沢国造を置き、比止禰命を任命した。地名は、この「阿沢」が「安積」と転訛したようだ。


(福島県須賀川市滑川西町、十貫内、郡山市安積笹川))
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歩行略図
岩瀬の渡し〜森宿〜間宿j滑川〜38笹川宿



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