紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 101
本宮宿・北町〜北の木戸
Hitosh
北町家並み |
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本宮宿北町の町並みである。かつての旧家が何軒か残されていた。 本宮宿は奥州街道と会津街道、三春街道、相馬街道の追分があり、 交通の要所として発展してきた。 そして奥州街道沿いでは屈指の規模の遊郭があり、人形浄瑠璃で 「奥州街道の本宮なくば何をたよりに奥がよい・・・」と謡われるほどであった。 井原西鶴の「好色一代男」や「一目玉鉾」にも登場してくる。 本宮の北町(字立石)には東山道の安達駅(あだちのうまや)があり、 軍馬の産地としても知られていた。 |
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本陣跡 北町の本陣・検断・問屋はここの鴫原(しぎはら)家が代々務めていたが、屋敷は1950年に取り壊され、今は樹齢200年の「本陣のクロマツ」(本宮市指定天然記念物)が残されているのみであった。 写真中央の石柱は、明治天皇行在所跡碑である。 |
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安達太良神社 街道左手に本宮の地名の由来となった安達太良神社がある。安達太良山の三所明神の里宮として久安2年(1146年)に、この管森(すがもり)山山腹に創建された。 文化3年(1806年)の火災後は、戦国時代の管森館(すがもりだて)跡である頂上の現在地に移されている。 また、この神社の登り口の右(北)側には、旧二本松藩の糠沢組代官所と本宮組代官所があったようだ。 |
百日川、石雲寺 |
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本宮宿北町の出口付近である。百日川があり、対岸に曹洞宗石雲寺(せきうんじ)がある。 ここのイチョウは福島県の緑の文化財に登録されている。 また石雲寺は、東北5県に跨る陸奥路の芭蕉の跡地を辿る、 奥の細道陸奥路三十三観音零場の32番札所となっている。 この寺の右手の字名が立石で、東山道の安達駅のあったところと比定されているところだ。 この百日川はこの右手で阿武隈川に合流している。 立石は、この百日川と阿武隈川の交わる地点の北側の台地の上となっている。 旧街道は、この川の手前で直角に左に曲がっている。 |
本宮宿北の木戸付近 |
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百日川の手前を左(西)に曲がったところだ。 かつてはこの辺に、本宮宿の下の木戸(北側出口)があった。 写真中央の家の看板には苗木と植木、右側の家には小野精米所と書かれてあった。 ここから先は百日川を渡り、次の旧奥州街道46番目の宿場杉田宿へ向かう旧街道となる。 |
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