紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 105
二本松・北杉田宿〜正法寺町
Hitosh
北杉田宿 |
北杉田宿の入口付近である。かつての枡形の痕跡が残っている感じである。 南杉田宿は慶長15年(1610年)までには成立していたが、北杉田宿は記録が無く、 何時ごろ出来たかは判然としない。 街道左側には旧問屋であった熊耳家や、旧名主の市川家があり、 宿場らしい雰囲気を残している。 |
北杉田宿家並 |
北杉田宿の左側である。 背後の山頂一帯は、二本松城の出城だった杉田館があった処だ。 杉田氏は奥州合戦の後に、畠山氏の家臣としてこの地に入部。 戦国時代末期の伊達氏と畠山氏の抗争の際、伊達政宗の父、輝政を拉致して殺し、 伊達勢によって粟(あわ)ノ須の戦いのときに全滅させられた。 一説には、畠山氏側が輝宗を盾にしたのに対し、政宗は父を犠牲にして 攻撃に転じたともいわれる。 |
七夜坂 |
街道は、この先で現在の国道4号線に寸断されている。 北杉田を出た街道は、七夜坂と呼ばれた坂を上り西側の山裾となっていたが、 今はその道は失われている。 藤原実方の 「七夜桜 はるばるここにきたすぎた(北杉田) やがて都へ かへる身なれば」 と刻まれた文政9年(1826年)に建てられた歌碑があるとのことであったが、 わからなかった。 また、七夜坂は桜の名所だったというが、今は肝心の坂道の面影も、桜も無かった。 |
新座分岐 旧街道は、ここで県道355号線から別れ、右手の細い道となる。 |
木登り地蔵尊 |
街道左側に、木登り地蔵がある。木の枝別れの股に石造の小さな地蔵が乗っている。 今から600年前、畠山氏がこの地を治めていたころ、 畠山一族には病気などの不幸が続いていた。 3代目畠山国詮は那須野ヶ原の金毛九尾の狐が娘に化けて人々を苦しめていた。 一休和尚と会津熱塩の源翁和尚の合作による地蔵尊を祀って祈祷したところ 狐を退治できたことを知って、その地蔵尊を竜泉寺の全忠和尚に頼んで譲りうけ、 この地まで背負って来た。 少し休んで歩き出そうとしたところ、再び背負うことが出来なかった。 同じ畠山領地内であり、また霧ヶ城(二本松城)の病門にあたるところから、 この地に病気除けとして祀ることにした。 それから十有余年過ぎてのこと。 地蔵尊は木造りのためか、時折木の根の穴に首を突っ込むので、 竜泉寺3代淳学和尚が石の地蔵尊を造りそこに納めたところ、 悪病の流行や天災の時には赤頭巾を飛ばしたり、和尚に夢知らせを三晩と続けた。 そこで、村人を集め祈祷し災厄から救うことが出来たとのこと。 木の生長とともに、穴に治められた地蔵も、根の部分から木の上の方に移動したようだ。 |
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