紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 106
二本松・大檀〜若宮
Hitosh
大檀口 |
正面に、東北自動車道の二本松インターと国道4号線を結ぶ道路が見えてきた。 この辺から右手が大檀(おおだん)口の古戦場となったところだ。 戊辰戦争で木村銃太郎を隊長とする二本松少年隊が新政府軍を迎え撃って 戦ったところである。 |
眼鏡橋より上流側 |
阿武隈川支流の羽石川に架かる眼鏡橋より上流を見た写真である。 安達太良山が良く見えるところであった。 |
大檀口古戦場 |
陸橋の手前に、大檀口古戦場跡の丘へ通じる道で、二勇士の碑と書かれた道標が立っている。 戊辰戦役に砲術師範である木村銃太郎を隊長とする二本松少年隊の奮戦の地で、 隊長はここで戦死した。 また少年隊を援護して壮烈な戦死をとげた二本松藩士青山助之丞、山岡栄治の 2勇士の奮戦の地である。 丘の上には、少年隊奮戦記念碑と二勇士戦死之碑が建っている。 |
馬頭観音 峠道の途中の街道沿いには新旧の馬頭観世音が建っていた。左の観世音は文化11年(1814年)と刻まれてあった。 ここから、二本松城下町に向け、坂道を下るところだ。 |
二本松城跡 |
峠を越えると、正面に二本松城(霞ヶ城)跡が見えてきた。 古名は白旗ヶ峰。 もとは安達氏の居城であったが、南北朝時代に奥州探題の畠山氏の入国に伴い 霞ヶ城と称した。 天正14年(1586年)12代畠山吉継が伊達政宗に滅ばされた後は伊達の出城となった。 江戸時代は、丹羽光重が二本松に10万石で入封し、幕末まで続くが戊辰戦争で落城した。 丹羽家は織田家譜代の家臣で、幕末までお家を保持したのは立派だ。 なお、秀吉が名乗った羽柴という姓は、この丹羽氏と柴田氏の苗字から取ったものである。 |
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