紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 107
47二本松宿・若宮〜松岡枡形
Hitosh
若宮公園 |
二本松城下町に入る。 写真は、城下町入口付近にある若宮公園で、 冬の陽射し中、日向ぼっこを楽しんでいる人がいた。 二本松城下の旧奥州街道は、この若宮から松岡、東町、亀谷と進み、 亀谷坂の急な登り坂を経て竹田町に抜けていた。 |
旧桜谷 |
旧街道を真っ直ぐ、二本松城に向かって北上する。 ここが旧桜谷で、松阪門があった。 そして、丹羽氏の町割りにより、足軽長屋や御先手長屋が設けられていた。 桜谷は、鎌倉の谷七郷の例に似せて名付けられたという。 残りの谷は、西谷、北谷、本町谷、道場谷、北条(放生)谷、そして亀谷となっている。 |
若宮交差点 旧街道は旧桜谷の橋を渡り、最初の交差点(若宮一丁目、写真)を直角に右に曲がる。 この交差点を真っ直ぐ進むと霞ヶ城跡で、左に曲がると、城主であった丹羽氏の菩提寺である大隣寺のあるところである。 |
旧街道/若宮 |
若宮一丁目の交差点を右に曲がると、かつての宿場は商店街となっている。 江戸時代以前の建物は、戊辰戦争で二本松宿は一夜にして灰燼に帰したので、 今残されている家は明治以降のものだ。 正面遠くに見える木立は二本松神社である。 |
松岡家並み 旧街道は二本松市若宮から松岡に入る。一部であるが古い家並みが残されていた。 |
松岡の枡形、檜物屋酒造店 |
そして、松岡の枡形となっているところだ。 街道は右に曲がり、そしてすぐ左に曲がっている。 写真はその角にある檜物屋(ひものや)酒造店で、明治7年に酒造業を創業した。 銘柄の「千功成」は、秀吉の千成瓢箪に因んで「千成」と名付けたのが始まりで、 のちに千の功績をという意味から「千功成」に改められた。 屋号が檜物屋とあるから、酒造店を開く前は檜を薄く削って作る 棺物(わげもの)屋であったのであろう。 |
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