紀行写真集


旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 111

二本松・亀谷観音堂〜竹田坂




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二本松


亀谷観音堂

亀谷坂の頂上に亀谷観音堂がある。

江戸時代、鏡石寺の坂の上にあり、寺を引退した僧の隠居所だったようだ。
お堂の名前も、何度か変わり、今は千手院と呼ばれている。
安達三十三観音の18番札所となっている。

大正年間の火災で焼ける前のお堂は、朱塗りの立派なものであったが、
現在のものは一回り小さいとのことであった。



観音堂石仏群、芭蕉句碑

境内にある石仏、石塔群。天保15年(弘化元年、1844年)に二本松城下の総駅馬ひきたちが建立した大きな馬頭尊や、不動明王の石像、庚申塔等が集められている。

右端は芭蕉句碑である。かなり風化しており判読は難しいが、春鏡塚と題し、「人も見ぬ 春や鏡の うらの梅」の句が刻まれている。

裏面には芭蕉の略歴と、蔵六坊虚来が安永丙申之春(安永5年、1776年)に建立したことが刻まれている。二本松市で現存する最も古い歌碑・句碑とのことだ。

幸田露伴碑
  そして、ここは幸田露伴(本名・成行)のペンネームゆかりの地でもある。
  20歳になって文学を志し、電信技士として赴任していた北海道余市から上京の旅に出て、その途中(明治20年9月)、路銀の余裕が無くなり、この亀谷坂でこうもり傘を立て野宿をしたようだ。
  その時の句
「里通し いざ露と寝ん 草まくら」
より、雅号を「露伴」としたとのことであった。


亀谷坂

亀谷坂の頂上付近より振り返って、今登ってきた亀谷坂を見下ろした写真である。
急傾斜の坂道である。



竹田坂

そして、こちらは亀谷坂の頂上から、反対側(北側)を見た写真である。
この後、この急坂を下って二本松の竹田地区に向かう。

なお、この坂を竹田坂といい、かつては、この坂の両側は家具屋が軒を
並べていたところである。



(福島県二本松市亀谷、竹田)
0912/1005

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歩行略図
二本松・北杉田宿〜47二本松宿〜JR安達駅



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