紀行写真集


旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 112

二本松・竹田坂〜竹田見附




Hitosh


二本松


竹田坂
五社稲荷神社
  亀谷坂の頂上から、今度は竹田坂を下る。その途中の右手にあるのが五社稲荷神社である。
  背後は愛宕山で、頂上は愛宕山公園となっているところだ。
真光寺
  右手に真宗大谷派の真光寺がある。戊辰戦争で二本松少年隊士の成田才次郎の突きを受け、戦死した長州藩兵隊長白井小四郎の墓所がある。
  この辺一帯は二本松城の東側で、城下町特有の多数の寺が集められているところである。


竹田交差点

竹田坂を下ったところが、かつての竹田見附跡である。
道の両側には、往年ほどではないが今でも家具屋が軒を並べていた。
伝統ある二本松箪笥の里である。

この先の交差点の左手は二本松城の郭内で、堀があり「御堀端」と呼ばれていたところだ。
正面は御徒町であった。

旧奥州街道はここで右に直角に曲がっている。



竹田見附ポケットパーク

交差点の角に竹田見附ポケットパークが出来ている。
トイレと水飲み場にベンチがあり、街道歩きの旅人には、嬉しい休憩所であった。

説明板によると、慶安年間(1648〜1651年)の町割りにより、
旧奥州街道と二本松城の竹田門へ続く三叉路で城の最も外郭に当たる為、
番所が設けられていたとのことだ。



大内家蔵尚古館

竹田の交差点を右に曲がると左側に、大中小の三つの蔵が段々に並んでいた。
二本松藩御用蔵である。

御用商人であった大内家天明天保蔵尚古館として公開されている。

左側は天明年間(1781〜1789年)に建てられた「蔵品館」で、
右が天保年間(1830〜1844年)に建てられた「茶舗伝承館」となっており、
それぞれに当時の美術品や資料が展示されている。

なお、ここは戊辰戦争の時、板垣退助が本陣をかまえたところである。

職人横丁
  そして、街道右側には「かげのまち・職人横丁」と書かれた木の標識があった。
  愛宕山の北麓にあたり、そこから山蔭の意味であろうか。そして職人横丁は家具職人のことであろう。


(福島県二本松市亀谷、竹田)
0912/1005

写真が一部表示されない場合は、「ページの更新」(F5キー)、又は「画像の追加」(右クリック)を行うと表示されます

前へ 目次 次へ


歩行略図
二本松・北杉田宿〜47二本松宿〜JR安達駅



街道写真紀行


悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

Hitosh


inserted by FC2 system