紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 117

48二本柳宿




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二本松・渋川


48二本柳宿

奥州街道47番目の宿場二本柳宿の中心部である。
昭和51年までは、街道の真ん中を宿晴らしい堀があったが、
今は道の両側の側溝となっている。

江戸時代の建物は、明治になってからの大火で殆ど消失したが、
それ以降の建物が今でも残されている。
ただ、茅葺の家はトタン屋根となってしまった。

なお、二本柳の地名由来となった二本の柳が、宿場の北側に石碑と共にある。
四月には二本柳宿祭りが行われている。

問屋場跡
  街道右側に二本柳宿の問屋場があった。その場所には、説明板があるのみで、今は新しい家が建っていた。
  なお、二本柳宿には本陣は無かった。
   


円東寺

宿場の西端に真言宗豊山派安達太良山円東寺がある。
二本柳宿の出口の枡形で、旧街道はこの寺の前で直角に右に曲がっている。

円東寺は、大同2年(807年)、徳一大師によって
安達太良山山麓の猿鼻で開山されたのが始まりである。
慶長3年(1597年)、二本柳宿が出来るとともに現在地に移転した。

枝垂桜
  円東寺境内にある枝垂桜は、推定樹齢400年で樹勢も極めて良く、春には見事な花をつけるとのこと。
  福島県「緑の文化財」に指定されている。


疱瘡神社

円東寺の左側に隣接するように建立されている疱瘡神社。

創建は不明であるが、昔は疱瘡(天然痘)は恐ろしい伝染病で、
この疱瘡の治療を祈る神社が各地に出来ている。

そういえば、伊達政宗も幼い時に疱瘡に罹り、右目を失明している。


(福島県二本松市渋川、二本柳)
0912/1006

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歩行略図
二本松・渋川〜48二本柳宿〜49八丁目宿〜東北本線踏切



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