紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 118
二本松市幸町〜渋川日向
Hitosh
旧街道/渋川 |
二本柳宿の出口にある円東寺の前を右折すると、街道は山間の急な下り坂となる。 この辺で標高は約200mだ。 写真、左端には円東寺清水跡があり、「柳清水」とも「弘法清水」とも呼ばれていた。 払川の先は、部分的に二本松市幸町となっている。 その先はまた、二本松市渋川である。 写真中央は清掃・廃棄物処理業の会社で、朝の出動前の準備で、 作業車が数台道路に停車していた。 |
払川 |
払川の上流側である。 川沿いの細長い河岸段丘に田圃が出来ている。 払川は安達太良山東麓の黒森山(760m)付近を源流とする川で、 駒寄川、水原川に合流し阿武隈川に流入している。 |
鹿の鳴石 |
幸町を抜けると今度は登り坂だ。その途中の左側に、鹿の鳴石がある。 昔、日本柳と長谷堂の中間に大きな沼があり、そこに沼の主(龍神)が住んでいた。 あるとき沼が決壊して、水が無くなり自分の相手とはぐれてしまった。 沼の主は鹿に化身し、この自然石の上で鳴き、何度も相手を呼んだが見つからず、 山を越えて、土湯の女沼に移り住んだといわれる。 この石の周囲を左に3回まわると、鹿の鳴き声が聞こえるという。 |
戦士七人之墓 峠を越え、下り坂の途中左側に戊辰戦争の戦死者の墓碑がある。石碑には「戦士七人之墓」と刻まれてあった。 なお、この坂を小取場坂というようだ。 |
日向集落 |
小取場坂の先に、渋川字日向(ひなた)の集落が見えてきた。 峠の南側にある地域なので「日向」となっているのであろう。良い地名である。 次の日向の交差点を左に行くと山の入ダムがある。 |
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