紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 121
福島松川〜八丁目宿入口
Hitosh
境川上流 |
境川集落を抜け、田圃の中の一本道を行くと、境川に架かる境川橋を渡る。 この川が、かつての安達郡と信夫郡の境界で、現在の二本松市と福島市の市境となっている。 写真は、境川橋より上流を見た写真である。 境川は正面の黒森山(760m)と笹森山(650m)の山麓を源流とする川だ。 余談であるが、街道を歩いていると、この境川と呼ばれる川をよく目にする。 一寸調べただけでも50以上もあった。 |
頌徳碑 川を渡ると右手に桐生幸蔵翁の頌徳碑がある。明治31年に信夫郡松川町に生まれた人だ。 資料によると、この頌徳碑と並んで、信夫隠しの碑があったようだが見当たらない。どこかへ移動したのであろうか。 信夫隠しの碑は、慶応2年(1866年)に建てられたもので、 「思いやる心の奥の漏らさじと 忍ぶ隠しは袖か袂か」 と刻まれてあった。 |
八丁目宿入口 |
奥州街道49番目の宿場八丁目宿入口の枡形である。 この八丁目の宿名は、前述の郡境の境川から八丁目のところにあることから 名付けられたようだ。 1丁は60間(約109m)であるから、約872mの距離である。 |
奥州八丁目天満宮 |
八丁目宿入口の枡形の角に、奥州八丁目天満宮がある。 八丁目宿は昔宿地千軒と言われ、文治5年(1189年)、 源頼朝の奥州征伐の際に一度焼き払われたと伝えられている。 |
天満天神宮 拝殿の額には金文字で「天満天神宮」と書かれてあった。 天満宮は菅原道真を祭神とする神社で、天神さんとも呼ばれている。その天神を祀る事から天神宮とダブルネーミングとなっている。 拝殿手前には「天満天神宮壱千百年御神紀祭」が平成8年に行われたと書かれた掲示板があった。 |
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