紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 122

福島・49八丁目宿〜水原川




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福島・49八丁目宿


49八丁目宿町並み

八丁目の薬師如来を過ぎると、旧奥州街道49番目の宿場・八丁目宿となる。
八丁目、越ヶ丘、天明根(てめね)の3地区を合わせて八丁目宿と呼んでいた。

八丁目宿はかつては伊達の支城・八丁目城の城下でもあった。
文治5年(1189年)の伊達内紛である「天文の乱」で、八丁目城主堀越能登守は、
伊達種宗側に属し活躍した。
その城跡は、写真正面奥の小山である。

近世は奥州街道と、米沢街道、相馬街道の宿駅として栄え、本陣、検断、問屋なども
置かれていた。
また、酒館、青楼が多くあり、妓娼も多く、歓楽街としても知られていた。
化政期(1804〜30年)以降、俳諧、狂歌、鳥羽絵、三味線などの
町人文化を生み出した。これを八丁目文化というようだ。

なお、八丁目は現在は松川町となっている。
昭和24年の青森発上野駅列車が脱線転覆した「松川事件」のあったところだ。



松川・めがね橋

松川に架かるめがね橋(松川橋)である。

明治4年、この天明根地区を流れる松川(現水原川)の名をとって松川村、
その後松川町となった。
昭和41年福島市に編入されている。
めがね橋(松川橋)
  江戸時代は土橋であったが、このめがね橋は明治18年に完成したアーチ形の石橋だ。空石積工法の名橋として知られている。
  水面に写った影がメガネのように見えることから「めがね橋」と呼ばれるようになった。


松川上流・西光寺

写真はめがね橋より松川の上流側である。
松川は現在の水原(みずはら)川のことだ。
この右手に水原川本流があり、ここは河跡湖(三日月湖)のようになっている。

写真右端は真言宗豊山派の西光寺(さいこうじ)だ。
天正年間(1573〜1592年)の開山である。
阿弥陀如来坐像は鎌倉前期快慶作とのこと。

天明の飢饉で行倒れた人々の塚がある。



天明橋/水原川

水原川本流に架かる天明橋。

福島市最南端の黒森山(760m、松川町水原)を源流とする川で、阿武隈川支流である。
福島市南部では最大規模の白鳥飛来地として知られている川だ。


(福島県福島市松川町)
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