紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 127
福島・松川町浅川前田〜若宮
Hitosh
共同墓地/松川町浅川 街道右手の田圃の中に共同墓地があった。そして背後の高台に金谷川小学校がある。 小学校の字(あざ)名が陣場である。軍兵の駐屯した高台か、それとも代官の役所跡であったのだろうか。 この地の西側の山部一体が石名坂古戦場跡と伝えられているので、やはり陣を構えたところなのであろう。 なお、石名坂は奥州合戦で藤原方と鎌倉軍が戦端を開いたところである。 |
福島大入口 |
坂を上っていくと、左手に福島大学の入口があった。 福島大学は、人文社会学群と理工学群があるが、理工学群は2004年に出来たばかりである。 福島大学のある地名は福島市金谷川とのなっている。 かつての金谷川村で、松川町と合併の際に消失した地名であるが、 1999年の福島大の町名変更の際に、大学敷地に関してのみ復活された。 したがって、今は大学以外では、小学校と郵便局、交差点名等に 使われているだけとなっている。 |
石仏、石像 |
峠(向坂)の頂上付近にある石仏j群。 峠には必ず馬頭観世音があるが、地蔵尊があるのは珍しかった。 |
浅川新町宿入口 |
峠を越え、道を下って行くと正面に間宿・浅川新町宿(現浅川字若宮)が見えてきた。 慶長9年(1604年)、浅川村から集落が移転して新しい町を作り、間宿となった。 その時、若宮八幡を祀った事から、若宮宿とも呼ばれていた。 |
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