紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 129
福島・50清水町宿
Hitosh
街道/松川町浅川 |
間宿・浅川新町宿を出ると、道は登り坂となる。 この辺の下は東北新幹線の福島トンネル(全長11.7km)があるところである。 先方に国道4号線の交差点が見えてきた。 当然、国道4号線は横断できるものと思い、直進したが間違いであった。 中央分離帯には、フェンスが出来ていて横断できないのである。 仕方無しに、もと来た道を戻り、清水町に抜ける大きくカーブした道を通り、 国道4号線の下を潜り反対側に出た。 |
福島・清水町 |
清水町迂回路 写真は国道4号線の下を潜ったところである。しっかり歩道が出来ていた。 地名は福島市松川町浅川から福島市清水町に変わる。 |
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清水町石仏群 街道右手に石塔、石仏群。庚申供養塔や南無阿弥陀仏と彫られた六字名号板碑、そして右端は風化が進み解り難いが阿弥陀三尊来迎板碑であろうか。 |
50清水町宿入口 |
街道は右にカーブしている。 この辺が、旧奥州街道50番目の宿場・清水町(しみずまち)宿入口である。 赤瓦の古民家が目立った。 清水町宿は旧愛宕堂の参道入口にあった藤清水(水神)が地名の由来とか。 愛宕堂は、今は出雲大神宮の境内に移されている。 |
出雲大神宮 |
清水町宿に入ると、すぐ左側に出雲大神宮がある。 清水町宿の産土神である。 もともとは、炭焼藤太(すみやきとうた)が氏神として祀ったと伝えられている。 社伝によれば、炭焼籐太は出雲の神の加護で、京の都の阿姑姫と結ばれ、 有名な金売吉次ら4人の息子をもうけたという。 藤太や、吉次兄弟の家である平石の長者屋敷は、文治5年(1189年)の奥州合戦で焼失。 出雲大神は村人の手で守り続けられていたが、 奥州街道が開かれた慶長年間(1596〜1615年)に、ここに移されたという。 |
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