紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 95
日和田・高倉濁り池〜44高倉宿
Hitosh
高倉・濁池 |
旧街道を下ってくると、右手に濁り池ある。 古くからある池で、この辺の地名(字)は濁池となっている。 |
44高倉宿 |
濁り池の傍を抜けると、旧奥州街道44番目の宿場・高倉宿に入る。 写真は高倉宿の中心部である。 茅葺屋根を覆う新しいトタン屋根が未だ新しかった。 高倉宿は中世の高倉城の郭内に作られた宿場であった。 |
山清寺 街道右手に山清寺がある。この横から背後の小山に、中世の二本松畠山氏の支城である高倉城(松峯城)があった。 天正年間(1573〜92年)の郡山合戦のおり、城主の高倉近江は伊達政宗側につき、その後は政宗の支城となった。今でも土塁跡が残されている。 |
鹿島神社 |
高倉宿の出口にある、村社・鹿島神社である。 写真中央の注連縄をつけた対の杉は、夫婦杉と書かれてあった。 さらに、この上に豊富稲荷神社がある。 前述の高倉城跡の北端に位置する古社である。 |
高倉自然公園 |
高倉宿を抜けると前方が開ける。 阿武隈川支流の五百川の手前南側にある高倉自然公園(運動公園)で、 自然観察やスポーツ広場となっている。昭和63年にオープンした公園だ。 安達太良山(1700m)や額取山(1009m)の良く見えるところである。 |
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