紀行写真集


旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 96

本宮・五百川~仁井田



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本宮・仁井田

五百川橋
  五百川に架かる橋の手前から、長かった郡山市が終り、本宮市に変わる。
  本宮市は平成の大合併で、白沢村と合併して平成19年に誕生したばかりの新しい市である。福島県で一番小さい市とのことであった。
  中心の本宮は旧奥州街道45番目の宿場として発展したところである。   

五百川

五百川に架かる五百川橋の上から、上流を見た写真である。
旧奥州街道は、現在の橋の位置より100mほど上流側であり、
その橋に旧街道も繫がっていたが、今はその痕跡は残されていなかった。

五百川は高津山(816m)北麓付近を源流として、磐梯熱海温泉を通り、
本宮市と郡山市の境界を流れ、阿武隈川に合流している。

萩姫伝説によると、鎌倉時代、京都の公家の娘・萩姫が不治の病に罹った時、
不動明王のお告げがあり、京から北に500番目の川岸に霊泉があり、
それに浸かると病が治るといわれた。

萩姫は侍女とここまでやって来て、この川の上流の磐梯熱海温泉を発見。
その湯に入ると病が癒えたとのこと。

この伝説に肖り、磐梯熱海温泉のある郡山市では、毎年「萩姫祭り」が行われている。

写真前方に見える山は、五百川の源流付近である奥羽山脈で、
その山麓に磐梯熱海温泉がある。
仕事で何度か泊まったことがあるところである。


富士愛岩神社
  街道左手に、石柱に富士愛岩神社と彫られた神社がある。
  富士神社は浅間神社と同じ富士山信仰であろうが、愛岩神社は初めであった。愛宕神社かと思ったがどうみても「愛岩」であった。
  古くからある社で、この辺の地名は大字仁井田(にいた)字宮下となっている。


新昌寺

旧街道右手にある新昌寺で、写真左手の石造供養塔(板碑)は、
本宮市指定の文化財となっている。

鎌倉時代の正安4年(1302年)に建立された板碑である。
この供養塔は、奥州街道沿いに良くあるもので、上面の種子キリーク(阿弥陀如来)と、
紀年銘(正安四年)が判読できる。

その他、新昌寺には、阿弥陀三尊浮彫供養塔があったことが、
元禄9年(1696年)の「仁井田村堂社寺院記上帳」に記録されているとのことだ。


仁井田集落
  旧街道沿いの仁井田集落で、街道を挟んで右手が東町、左手が西町となっている。かつての仁井田村だ。写真右端の金属の塔は火の見櫓である。
  仁井田の集落を抜けると、次は旧奥州街道45番目の宿場・本宮となる。


(福島県本宮市仁井田)
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