紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 139
福島宿・宮町〜豊田町
Hitosh
福島稲荷神社絵馬殿 |
北町に入り街道は右折し東に向かう。 その左手にあるのが福島宿の総鎮守である福島稲荷神社だ。 一條天皇の永延元年(987年)、従五位下安倍朝臣晴明が奥州下向の際、 この地に一祠を建て、福島の郷の鎮守としたのが始まりである。 祭神は豊受比売命、配神は大国主命、事代主命。 左正面の建物は旧拝殿で、現在は神社絵馬殿となっている。 この建物は、昭和14年の拝殿改築にあたり、 それまでの拝殿を絵馬殿としてここに移築したものだ。 この旧拝殿は元禄5年(1692年)に福島藩主堀田正仲が造営したものといわれ、 現存する福島の建造物中、最古のもののようだ。 この裏に新しい拝殿が出来ている。 |
福島稲荷神社新拝殿 これが現在の新しい拝殿で、昭和14年に完成したものだ。 境内社として古岑社、聖徳太子社、足尾社が祀られている。 |
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明斎先生碑 天保7年(1836年)、福島市松川町金沢に生まれた最上流和算の大家丹治明斎を偲び、門弟らによってその学績を称えた顕彰碑である。 最上流宍戸氏の門下に入り、安政4年(1857年)に許されて最上流4代目の学統を継ぎ、著書500巻、洋算にも精通した算学者で、門弟は千人と言われていた。明治42年、74歳で歿。 |
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ペン塚 福島県にゆかりのある新聞人等を会員とする福島ペンクラブの創立10年を記念して建立されたもの。福島県新聞発祥の地・稲荷神社境内にペン塚を建立。 「言論の自由を闘い抜いて先人の偉業を偲び、合わせてわれらの生涯の糧を生んだペンに感謝し、願わくば後世の道標たらんことを」と刻まれている。 昭和63年に建立されたものだ。 |
福島宿・豊田町 |
福島宿北町を抜けると街道は左に曲がる。 豊田町で、かつての馬喰町のあったところだ。 今は国道4号線バイパス沿いに移されているが、ここにあった馬頭観音堂を中心に 馬市が開かれていたところだ。 この馬喰町の外れが、福島宿の出口であった。 なおこの先の街道沿い右側に、東北では唯一の競馬場がある。 また、この写真の手前方向は舟場町で、阿武隈川に面した町域で、 かつては舟場河岸のあったところである。 |
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