紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 141
福島・信夫山、岩谷観音
Hitosh
信夫山・岩谷観音 |
新達盆地の略中央に位置し、古くは岑越山、青葉山とも呼ばれた。 写真は、その信夫山の東麓登山口である。 古来信仰の山で、信夫三山や御山(おやま)とも呼ばれた。 写真の階段の上が磨涯仏で知られた岩谷観音である。 なお、信夫山の山中には、古い金山の坑道と、 太平洋戦争時に掘削された軍需工場(中島飛行機、航空機エンジン工場)の 地下壕が眠っている。 |
鷹尾山観音寺 岩谷観音への階段の途中右側にある鷹尾山観音寺の地蔵尊群。「長命成願 地蔵御詠歌」が掲示されていた。 あらとうと いわやのもとに おはします じぞうぼさつを たのめもろびと なむじぞう しょうびうなかれと ねがひつつ まいれるひとは ちょうめいなるらん |
岩谷観音・磨崖仏 |
古くから、岩谷観音の名で親しまれてきたこの地は、民衆の素朴な霊場であった。 平安時代末期から鎌倉時代にかけて、五十辺の館に居館をかまえてきた 豪族伊賀良目七郎高重が、持仏の聖観音を安置した「窟観音」に始まる。 宝永6〜7年(1709〜10年)に、都の三十三観音巡拝の風が伝わってきて、 ここに西国三十三観音の磨崖仏が彫られ、岩谷観音が形成されたようだ。 その後、三十三観音の他に60体にも及ぶ供養仏が彫られた。 福島市指定史跡、名勝となっている。 |
岩谷観音堂 |
応永23年(1416年)、宥海法印が建立したと伝えられている。 俗名を尾形四郎憲春といい、伊賀良目氏の後裔にあたるという。 聖観音の他、経文600巻が納堂されているようだ。 |
信夫山、階段 |
磨崖仏の横の階段をさらに登ってみる。 この先が信夫山の登山道となっている。 信夫山は、東から熊野山(268m)、羽黒山、羽山の3峯で構成され、 これらを合わせて信夫三山と呼ばれることもある。 それぞれの山の名称からもわかるように、山岳信仰と結びついた山で、 熊野山には湯殿神社、羽黒山には羽黒神社、羽山には月山神社と、 出羽三山が勧請され祀られている。 信夫三山暁参り、大草鞋奉納が良く知られている。 |
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