紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 143
福島・岩ノ前〜松川
Hitosh
祓川緑道 |
岩谷観音前から、祓川沿いの緑道を松川に向かう。 約1kmの快適な遊歩道となっている。 信夫山沿いには、石塔・石仏が多くあるところだ。 かつての街道筋にあったものを移したのであろう。 |
マンホール蓋 遊歩道に設置された、綺麗なマンホールの蓋である。最初判らなかったが、良く見ると、信夫山の大草鞋祭りの様子をデザイン化したものだ。 街道歩きをしていると、この足元のマンホールの蓋も楽しみの一つである。各自治体で、様々なデザインの蓋があるのだ。 このマンホールの蓋の写真を収集しているマニアも多数いる。中でも、当サイトと相互リンクしている「マンホール風土記」はなかなか見応えがあるサイトとなっている。 |
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常夜灯 見事な形をした常夜灯である。マンホールだけでは無く、各地の常夜灯や神社の狛犬等も多種多様で、街道歩きの楽しみの一つとなっている。 |
松川・上流 |
祓川と松川の合流点である。左の山影は信夫山だ。 旧街道はこの左から右に渡った。 記録によると少なくとも宝永3年(1706年)以降は板橋が架かっていたようだ。 松川は山形県米沢市南東部の吾妻連峰を源流とする川で、 福島市に入り阿武隈川に合流している。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの時、 陸奥では上杉景勝と東軍の伊達政宗による小競り合いが 各地で展開されたが、ここ松川でも行われている(松川の戦い)。 ただ、当時の松川は信夫山の北側でなく、南側の現在の祓川を流れていたので、 合戦の場はここではなく、今の福島市街部であった。 |
松川対岸 |
やや下流に架かっている現在の松川橋を渡り、対岸にくる。 もちろん木橋ではなくコンクリート橋だ。 旧街道は写真左の河原から、この土手に上がり、そのまま右(北側)の細い道を進む。 |
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