紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 144

福島・本内〜鎌田




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福島


旧街道(電車道)/本内

松川を渡ると、旧街道は真っ直ぐ北上となる。
この道は明治41年、私鉄の軽便鉄道の電車道となった。

福島市駅から長岡村を経て飯坂の湯野に至る電車で、
福島市街と長岡の間の殆どが、旧奥州街道の道の上に線路が敷かれていたという。

その後、福島電鉄となり昭和45年まで続いていたが、惜しまれて廃線となった。


大日如来堂
  街道右手に享保年間(1730年)頃、天台宗松尾山本福寺の東面に建立されたが、元治2年(1864年)に火災で焼失し大日堂は再建されたが、本福寺は廃寺となった。
  江戸時代末期より、近くの曹洞宗正福寺(福島市本内(もとうち)字館)の離れ境内として管理されている。   
本内八幡神社/本内館跡
  左奥に本内八幡神社がある。ここの住所が本内字南古館とあり、もと陸奥・本内館(もとうちやかた、平城)があったところだ。
  土塁跡や濠跡が一部残されている。
鎌秀禅院/鎌田城跡
  左側に曹洞宗鎌秀(れんしゅう)禅院。ここの住所が福島市鎌田字古館である。調べてみると、弘長2年(1262年)、大和国より移封された宇野信次が築城し、以後鎌田(かまた)城と称して代々居城としていた。
  戦国時代、鎌田氏は伊達氏の家臣となっている。天正18年(1590年)廃城となった。
  文永年間(1264〜75年)に宇野信次が創建した鎌秀院を、この城跡に再建したという。寺名は、信次の法名(鎌秀院殿源性信大居士)からとったものだ。
鎌田水雲神社
  街道左手にある水雲(すいうん)神社。この変わった名の神社は福島県に何社かあり、伊達市伏黒にある水雲神社は伊達政宗の隠れ臼がご神体とか。
  この鎌田水雲神社の由緒は調べたがわからなかった。


(福島県福島市本内、鎌田)
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歩行略図
福島・信夫山〜52瀬上宿〜JR伊達駅口



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