紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 146
福島・52瀬上宿
Hitosh
瀬上宿町並み |
瀬上(せのうえ)の枡形を抜けると、奥州街道52番目めの宿場となる。 瀬上宿は阿武隈川水運の瀬上河岸があり、また飯坂を経て山形へ抜ける山形道や、 月の輪渡しを経て保原、相馬へ抜ける中村街道の追分があり、 2と7の日の6斎市は近隣の人で賑わったようだ。 また、こうした地の利があったので、瀬上花街としても知られていた。 瀬上は寛永十二年(1800)以降、備中足守藩(現岡山県岡山市)の領有地となり、 宿場の中ほどに瀬上陣屋が設けられていた。 足守藩より派遣された代官が、この地を治めていた。 |
大國屋 |
重厚な四脚門の旧家。 瀬上宿には、往時を偲ばさせてくれる建物が残されている。 この建物の木の表札には「大國屋」と書かれてあった。 島貫家住宅である。 |
台巌寺 街道右側にある浄土真宗台巌寺。この公孫樹は福島市保存樹に指定されている。樹高15m。 また寺にある国史跡・石母田供養石塔(国史蹟)の模刻は市有形文化財に指定されている。享和3年(1803年)に作成されたものだ。 |
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龍源寺 台巌寺と同じく、街道右側にある龍源寺だ。曹洞宗の寺で、境内にある龍源寺聖観音は信達三十三観音の第13番札所となっている。 |
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瀬上小 龍源寺と旧街道を挟んで反対側にあるのが福島市立瀬上小学校である。 この瀬上小の裏手(北西部)がもと備中足守藩陣屋があったところだ。民家(斉藤氏宅)の庭奥に石碑が建っている。 |
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