紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 153

53桑折宿・本町〜沢




Hitosh



桑折宿


桑折町道路元標
桑折町道路元標
  旧街道が、旧伊達郡郡役所の前を左折する角に桑折町道路元標がある。
  思えば、江戸日本橋にある日本国道路元標から歩き始めてから、今日で25日目である。日光参拝分を除くと23日だ。
  良くここまで歩いてきたものだと、独り感心した。  


桑折宿本町・本陣跡

旧伊達郡郡役所の前を左折すると、右側に桑折町本陣跡と書かれた
真新しい木製の標識があった。

旧奥州街道で本陣がある宿場は少ないので、
いかに桑折宿が重要な拠点であったかがわかる。

桑折宿の北の外れに羽州街道追分があり、弘前の津軽氏、久保田の佐竹氏、
新庄の戸沢氏、山形の最上氏等が参勤交代の際、羽州街道経由でここまで来て、
奥州街道に入り、江戸に向かった。

また、ここは幕府直轄領であり、宿場の他に半田銀山や阿武隈川水運の桑折河岸があった。



大安寺

立派な木造の旧家の横に、大安寺の参道がある。
左正面は大安寺の竜宮門で、この梵鐘は文政元年(1818年)に再鋳されたものだ。
桑折町指定文化財に指定されている。

説明板によると境内には、
この大安寺を開基した桑折本陣初代・佐藤新右衛門家忠の墓(寛永14年、1638年歿)や、
4代目佐藤家当主で蕉門俳人の佐藤馬耳(寛延4年、1752年歿)、
国学者、万葉歌人の安藤野雁(慶應3年、1868年歿)、
桑折代官竹内平右衛門(文化10年、1814歿)、
弘前藩家老高倉相模守盛隆(文政9年、1827年歿)等の墓があるとのこと。

大安寺本堂
  浄土宗金剛山大安寺は、明応年間(1492〜1500年)の開山とのこと。明和5年(1768年)の大火で堂宇が焼失したが、その後に再建された。

(福島県桑折町本町、沢)
1003/1008

写真が一部表示されない場合は、「ページの更新」(F5キー)、又は「画像の追加」(右クリック)を行うと表示されます

前へ 目次 次ヘ


歩行略図
伊達駅口〜53桑折宿〜JR桑折駅



街道写真紀行


悠々人の日本写真紀行

TOP 北海道 東 北 関 東 中 部 近 畿 中国四国 九州他

Hitosh


inserted by FC2 system