紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 154

桑折宿・北町〜法圓寺




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桑折宿


桑折御蔵

桑折宿の本町から北町に入ると、街道左側に、かつての店蔵を利用した、
桑折御蔵(おんくら)がある。

こおり案内、おもてなし処、お気軽にお立ち寄りくださいと書いてある。

現在の茶屋と観光案内を兼ねた施設で、運営は「元気こおり本舗有限責任事業組合」と
木製の立て看板に書かれてあった。

実際は桑折町女性団体連絡協議会会員を中心とするスタッフが、
ボランティアで運営しているようだ。

この建物は明治時代の店を改装して利用している。
街道歩きの旅人にとっては、実にありがたい施設である。
(但し飲食は土のみで、平日は要予約、5名以上)



北町・町並み

写真は立派な棟門と海鼠壁の塀の旧家。

桑折宿には往時を偲ばせる旧家が何軒も残されている。



法圓寺
  左側にある法圓寺。正しくは真言宗豊山派朝日山法圓寺で、創建は慶安・万治年間(1650年頃)である。  


弘法大師石像八十八体

お大師様(弘法大師)石像が八十八体も並んでいる。
江戸時代からあったが30数体だけが残り、それも風化し損傷が激しいため、
平成15年に復元したものだ。
一体一体の台に寄進者の名が刻まれている。

弘法大師四国八十八ヶ所零場巡拝の功徳、加護に肖ったようだ。



芭蕉田植塚

法圓寺境内の一隅に、芭蕉田植塚(写真中央奥)がある。

享保4年(1719年)に俳人佐藤馬耳(前述)が、芭蕉が須賀川の等窮宅で詠んだ、

   「風流の初めや奥の田植うた」

の句をここに埋め、塚を築き芭蕉翁と刻んだ碑を建立し芭蕉の供養と、
信達地方の俳壇の隆盛を祈願したという。

写真手前右は、芭蕉の真筆を石に刻んだ句碑となっている。

最後に、おくの細道の一節を引用。
   「短夜(みぢかよ)の空もやうやう明くれば
   又旅立ぬ。
   猶夜の余波(なごり)、心すすまず、
   馬借りて桑折の駅に出づる」



(福島県桑折町北町)
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歩行略図
伊達駅口〜53桑折宿〜JR桑折駅



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