紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 155
桑折宿・北町〜上町
Hitosh
ふれあい館 |
桑折宿の北町の街道右側にある古民家を利用した 桑折町社会福祉協議会のふれあい館である。 ボランティア活動の拠点となっているようだ。 |
清酒醸造元 |
桑折宿北町の街道左側にある清酒醸造元。 「奥州・羽州街道桑折宿」と書かれた暖簾の桜川酒造(有)だ。 近くの小学校の名前が醸芳小と言うのが気になった。 調べてみると、やはり桑折は造り酒屋が多く、肖って命名したようだ。 それも、明治9年の明治天皇東北巡幸のおり、当時の桑折小学校で小休止され その時随行していた木戸孝允が「醸芳」という言葉を揮毫(きごう)された。 酒を醸すこと、転じて物を熟成する意味に用い、 芳は薫ある花の事で転じて賢者能士と言う意味に用いられる。 従って、醸芳小とは、賢者能士を養成すること、あたかも米麹に和して酒を熟成するように、 盛んに多くの人材を育成すると言う意味とのこと なお、街道右側には醸芳中学校もある。 |
無能寺 |
街道左にある無能寺。この名称も気になるが、これは無能上人からきている。 縁起によると、慶長元年(1596年)に良然上人が創建し、当初は正徳寺と称していた。 その後無能上人(1683〜1719年)が当山を中心に教えを広め、多くの信徒を集めた。 入寂後に弟子が無能上人の徳を崇め、寺名を「無能寺」と改称したとのこと。 無能寺は、律院(りついん)として多くの僧の修行の場であった。 寺門が屋根つきの冠木門と珍しい形であった。 |
無能寺参道 城郭のような土塀の参道を無能寺に入る。境内には無能上人や、桑折代官寺西封元の墓がある。また、明治天皇小休所と刻まれた石碑が入口にある。 |
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無能寺、御蔭廼松 無能寺本堂前の御蔭廼松(みかげのまつ)と呼ばれる見事な松ノ木である。 明治14年の明治天皇東北巡幸の際、この寺が小休所となり、その時お供の杉宮内大輔の詠まれた歌 「おほきみの みかげの松の 深みどり 夏も涼しき 色に見えつつ」 より「御影廼松」と命名された由。樹齢400年で桑折町の天然記念物に指定されている。 |
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