紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 158
桑折・追分〜下半田
Hitosh
旧奥州街道桑折駅口 |
東北本線福島駅発7:03の電車に乗り、桑折駅に着いたのが、7:16であった。 そして、桑折駅から前日に中断した旧奥州街道に復帰する。 今日は藤田宿、貝田宿、宮城県の越河宿、斎川宿を経て、白石宿まで踏破予定である。 今回で長かった福島県を終り、いよいよ宮城県に入る。 さぁ、元気を出して出発である。 |
桑折追分 |
桑折駅口を出ると、程なく奥州街道と羽州街道(左側)の追分である。 江戸と出羽国を行き来するには、この羽州街道を通り、 桑折追分で奥州街道に合流するコースが普通であった。 ここを通る参勤交代の大名は十数藩にも及んだ。 羽州街道は桑折から山形、新庄、横手、六郷、久保田(秋田)、能代、大館、弘前、 そして青森に至る街道である。 この内、桑折から上山(山形県)までを七ヶ宿街道とも呼んだ。 |
追分石柱群 |
桑折追分は綺麗整備され、真新しい休憩所も出来ていた。 そして道路拡張で散在した庚申塔や地中に埋まっていた古道標等の石柱や、 柳の句碑もここに集められてあった。 柳の句碑(左端)は、約230年前に俳句の師匠であったト而翁の急逝を悼み、 その徳を慕って桑折社中の友がここ追分に建てたものである。 ト而翁の句は、安永8年(1780年)夏五月 「夕暮な 恋の通婦 柳哉」と読めた。 ト而翁は酒好きでもあったようだ。 当時の桑折宿は、参勤交代や芭蕉の奥の細道行脚以降文人の往来が多く、 中央からの文芸の情報が得られやすく、俳諧等への関心も高かった。 特に、佐藤馬耳の仙台藩主吉村公との歌会や、芭蕉追善句会の歌仙を巻くなどの活躍で 俳諧が盛んとなり、近郷への発信地ともなっていたようだ。 |
半田山 |
桑折宿を出ると街道左手には半田銀山で知られた半田山(863n)の雄姿がよく見える。 半田山山麓にある半田沼は、伝説の沼としても知られている。 源義経が平泉の藤原秀衡を頼り、この沼を通った時、 金銀を背にした牛が暴れて沼に落ち、以来この沼の主になったという。 その牛は人を襲うので、沼に近づかないようにと伝承されていたようだ。 もっともこの半田沼は旧半田沼のことで、半田山の明治の陥没地すべりで埋まってしまった。 今の半田沼はこの地すべり後に出来た新しい沼である。 付近一帯は半田山自然公園として整備されている。 |
旧奥州街道/北半田 |
桑折宿・南半田を抜け、北半田に入る。 北半田を過ぎると桑折町から国見町に変わる。 かつての奥州街道54番目の宿場・藤田宿があったところである。 |
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