紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 161

国見・藤田宿北〜鹿島神社




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国見・藤田宿


村上医院

藤田宿の北地区(大字藤田字北)に入ると、街道左手に往時を思わせる土蔵がある。
入口には「ご自由にお入り下さい、村上医院」と張り紙がしてあった。

村上医院は、内科、消化器科、循環器科、外科、皮膚科を標榜している医院だ。


奥山家住宅主館・洋館
 その先左側に一見変わった建物がある。この地方では数少ない和洋両方の接客空間を備えた奥山家住宅で、国登録有形文化財となっている。
  大正10年に建築されたものだ。西洋館は八角の塔屋を持ち、外壁はタイル貼り、土台は高い積石となっている。


鹿島神社

藤田宿の出口付近の枡形である。ここで右折し、すぐ左折となっている。

正面の神社は鹿島神社である。
鎮守府将軍大野東人が蝦夷征伐で陸奥に来て、養老〜神亀(717〜728年)に掛けて
藤田柵を築き、丑寅の方向に鹿島神社を鎮座したのが始まりとか。
その地が、今の古鹿島である。


鹿島神社拝殿
  永禄年間(1558〜69年)社殿が焼失しし、元亀年間(1570〜72年)に、地頭藤田兵庫により再建された。
  そして、享保9年(1724年)に古鹿島の地からここに遷座されたとの事。
  左端の赤い鳥居は境内社の医薬神社である。
あつかし俳句会句碑
  国見町のあつかし俳句会のメンバーが昭和62年に建立した句碑である。
  上段に会員の俳句3句、下段に建碑の趣意と3句が刻まれてあった。昔から奥州街道を行き来する多くの人がを足を留め、また歌や句を残した厚樫山(289m)、その伝統を今も継いでいこうという趣意のようだ。
  その中から一句
  「山麓に 芭蕉の碑あり 夏木立」


(福島県国見町藤田字北)
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歩行略図
JR桑折駅〜54藤田宿〜55貝田宿



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