紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 163
国見・森山〜大木戸
Hitosh
旧街道/森山 |
県北中学の横を通り、しばらく進むと、正面に峠が見えてきた。 厚樫山(阿津賀志山、289m)に連なる尾根越えとなる。 ここが奥州合戦の古戦場で、往時は阿津賀志山の中腹から、 ここを通り阿武隈川(古代の流路)まで延長3.3〜4kmの防塁が出来ていたという。 源頼朝が率いる鎌倉軍に対して、奥州軍(藤原氏側)が、この地を陸奥の防御ラインとして、 大防塁を構築し2万余騎が布陣したという。 |
阿津賀志山防塁横断地点 防塁のあった位置には、「阿津賀志山防塁横断地点」と書かれた標識が出ていた。 阿津賀志山は、文治5年(1189年)の奥州合戦の帰趨を決定付けた最大の決戦場であった。 |
森山一等水準点 |
峠の頂上に森山一等水準点がある。写真中央下右の石に囲まれた丸みを帯びた角柱である。 水準測量に用いる際に標高の基準となる点で、国土地理院が基本測量として設置管理している。 旧国道や主要街道沿いに約2km(半里)毎に埋没されている。 ここで、標高78.7mである。 この水準点を探すのも、旧街道歩きの楽しみの一つとなっている。 |
阿武隈高地 |
国見町大字森山から大木戸に入る。 街道より右側(南南東)を見た写真で、阿武隈高地が見渡せるところだ。 山座特定のため、角度を測って「カシミール3D」で確認すると、 一番右端が霊山(825m)であった。 手前の果樹園は、作業していた人に確認すると柿の木だそうだ。 気候と土壌が合い、柿の栽培に適しているとのこと。 秋の生柿と、冬季のあんぽ柿(干し柿)は国見町の特産品となっている。 |
大木戸小学校 |
峠を下ると、右側に大木戸小学校がある。 この小学校の手前の道を右に入ると、岩淵遺跡(町史蹟)のあるところだ。 高城の中山原にある縄文時代中期(4500年前頃)の竪穴式住居跡があり、 当時の竪穴式住居が復元されている。 大木戸は、明治9年に西窪村が大木戸村と改称されている。 その後、明治22年には大木戸、高城、貝田、光明寺村が合併して大木戸村となった。 昭和29年に合併して国見町となっている。 又、大木戸は奥州軍の本陣(貝田)のあったところである。 |
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