紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 166
国見・貝田宿〜出口枡形
Hitosh
貝田宿古絵図 |
貝田宿の中心部にある大きな説明板に、元禄年間(1687〜1703年)の貝田宿の絵図が描かれてあった。 左側が入口厚樫山方面で、右が出口方面である。 街道に沿って家並みが続いている様子が描かれている。 典型的な細長い宿場町となっている。 道路中央に書かれてある文字は、御制札場と読める。 中央部で街を縦断している川が風呂沢川(姥上沢)で、橋の名前が風呂沢橋となっている。 |
芭蕉記念木柱 貝田宿説明板の横に、俳聖松尾芭蕉行脚記念木柱が立っていた。 「奥の細道」より 「遙かなる行末をかかへて、かかる病おぼつかなしといへど、羈旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路に死なん、これ天の命なりと、気力聊かとり直し、路縦横に踏んで伊達の大木戸を越す」と記されてあった。 |
貝田宿旧家 |
貝田宿は何度か大火に見舞われたというが、それでも旧家が何軒か残されている。 写真も黒塀に大きな屋敷門を構えた旧家である。 |
貝田宿出口枡形 |
旧街道はここで左折となる。真っ直ぐ行くと国道4号線に合流である。 この辺が貝田宿の出口で、枡形となっている。 道標には「左貝田番所跡、正面本通県境」と記されてあった。 また、中央の標柱には「おくのほそ道自然歩道終点」と書かれてあった。 この「おくのほそ道自然歩道」は白坂明神からここ国見町貝田までで、 福島県県民室編「福島版おくのほそ道自然歩道」として 昭和46年に出版(1500円)されている。 |
岡田盛正翁碑 枡形を左折すると、民家の脇に岡田盛正翁記念碑があった。術流観流、明治28年門弟中建立と読めた。 この岡田盛正は和算家で、近くの水雲神社(国見町貝田)に算額(3問)を明治31年に奉納している。 |
この算額とは、和算家が自分の発見した数学の問題や解法を書いて 神社に奉納した絵馬のことだ。 江戸時代中期の寛文年間(1661〜73年)の頃より始まった風習で、 現在全国に約800面の算額が現存している。 数学の問題が解けたことを神仏に感謝し奉納したようだ。 |
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