紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 174

白石・越河平〜斎川・馬牛沼




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白石・越河平

山神碑
  街道左側の山裾に、山神碑がある。丁度平野部(田圃)との境目にあるので、春に山から下りてくる田の神、そして秋の収穫が終わると山神となる生産を司る神として祀っているのであろう。
  この少し先には金比羅大権現碑があった。福島と違い、庚申塔や馬頭観世音は無かった。  


国道4号線合流

旧街道が、現在の国道4号線と合流するところだ。
越河平の北端で、この先で斎川地区となるところである。

写真右手奥には白石市南中学校がある。
越河中と斎川中学校を統合して、両中のほぼ中間点のここに、
昭和32年に建てられた中学校である。



白石・斎川


馬牛沼・鯉供養碑

国道4号線と合流して、暫く緩い坂道を下って行くと、目の前が開け、
大きな沼が見えてきた。

馬牛(ばぎゅう)沼だ。
沼の中に建っている石碑は、昭和43年に建てられた鯉供養碑である。
明治30年頃から鯉の養殖が始まり、晩秋には名物の「沼乾し」(沼の水を抜くこと)の
行事で賑わうとのこと。

雪を被った正面の山は、曽良日記で「万ギ山」と書かれた万牛山(まんぎやま、430m)である。
地元では楯山とも呼んでいる。

なお、沼の北側の低い山は、馬牛館跡で、天文年間(1542〜48年)の
伊達種宗・晴宗父子争乱の時には、桑折播磨景長がここに籠もって戦ったという。



馬牛沼

馬牛沼は9世紀の初め頃、征夷大将軍坂上田村麻呂の馬が、
この沼に落ちて死んだことから馬入沼ともいい、
また沼の中なの狐洲が馬に似ていることから馬形沼、
さらに馬首牛身の魚獣が泳ぎ回っていたので馬牛沼と呼ばれた等々の伝承がある。

また、馬牛沼は古くからの白鳥飛来地としても知られている。
例年200羽ほど飛来してくるようだが、今回は数羽しかいなかった。
訪れたのが3月中旬であるので、既に北へ帰って行ったのであろうか。


明治天皇駐蹕之碑
  馬牛沼と国道4号線を挟んで反対側に明治天皇御駐蹕(ちゅうひつ)之碑がある。東北行幸の際、ここで小休止された記念碑だ。
  旧街道は、ここから先は奥州街道一番の難所と言われた鎧摺石(あぶみすりいし、こわし岩とも)の難所となる。


(宮城県白石市越河平、斎川)
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貝田宿〜越河宿〜馬牛沼



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