紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 175
白石・斎川〜鐙摺坂
Hitosh
旧街道分岐 馬牛沼を過ぎて、暫く国道4号線を歩くと、右側の山に入る道がある。旧奥州街道であるが、途中まで行くと斎川方面への道は消滅していた。 仕方なく、またここまで戻り、このまま左側の国道4号線を歩く。 |
国道4号線分岐 |
ここで、次の宿場斎川宿方面の車道があり右折する。 かつての旧奥州街道は、より山側(右側)であったが、切通し道が出来て、今は消滅している。 新しい国道4号線は、左の道である。 |
鐙摺坂 |
やがて鎧摺(あぶみすり)坂となる。 かつては奥州街道一の難所であったところだ。 今でこそ、車が通れる道であるが、江戸時代は左側が谷で、 右側は大きな石が迫り出していて、馬が一頭、やっと通れる道幅であった。 坂名の由来は、源義経が鐙を石に摺りながらここを通ったことによる。 |
庚申塔 その鐙摺坂の右の山の斜面には夥しい数の庚申塔がある。 大きな石塔には「庚申」と刻まれ、多数の小さな丸い石には「申」の一文字が刻まれてあった。 |
孫太郎虫供養碑 |
さらに北側には、「孫太郎虫供養」と刻まれた大きな石碑(写真右側石碑)がある。 かつては、斎川宿の大きな財源であった「疳(かん)の薬」の 材料である孫太郎虫(ヘビトンボの幼虫)の供養碑である。 左端の石塔には聖徳太子と刻まれてあった。 木匠や樵(きこり)の人々が、太子講で祀ったものであろう。 斎川地区のかつての生活の様子が偲ばれる石碑群である。 さらにこの左手には 「あぶみすり坂」と書かれた標識があった。 |
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