紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 178

白石・57斎川宿




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白石・斎川


斎川宿町並

旧奥州街道57番目の宿場・斎川宿の町並みである。

元禄5年(1692年)、街道の両脇には58戸の家が連なっており、
宿場の長さは3丁10間(345m)であった。
今も旧街道に沿って家並みが続いている。

斎川宿は子供の疳の妙薬「孫太郎虫」と、紙、ジュンサイが名産であった。
ジュンサイの若芽、若葉は食用として珍重されていたようだ。

また、ナチより逃れ日本に亡命していたドイツの建築家で、
「日本美の再発見」(岩波新書)でも知られたブルーノ・タクトも、
昭和9年に斎川を訪れ、古い家並みや家屋についての記録を残しているという。


大義寺参道
  臨済宗妙心寺派慈雲山大義寺(たいぎじ)の参道で、大きな常夜灯が目を引いた。
  写真右側にある石仏群は右より永代供養塔、文化7年(1811年)の子育観世音、南無阿弥陀仏と刻まれた六字名号石塔であった。
  なお、大義寺の聖観音菩薩木造は白石市最古の彫刻とのこと。


斎川宿検断屋敷跡

斎川宿の略中央左側に斎川宿の旧検断島貫家屋敷がそのまま残されている。
島貫家は、検断として、宿場の伝馬人足を取り仕切り、
大名の宿泊・休憩所も兼ねており、幕末には肝入も兼任した。

又、明治天皇の東北行幸の際は、休憩所にもなったところである。
写真中央右の石塔には「明治天皇御休息所」と刻まれてあった。


門をくぐり、中に入って旧島貫家を撮影したものだ。
左側と右側の写真を並べて掲載したので、屋敷の様子が判りやすいと思う。



(宮城県白石市斎川)
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