紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 183

白石城跡




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白石


白石城跡

東京発7:16のMax.やまびこ103号で、白石蔵王に着いたのが9:10であった。

駅前からタクシーに乗り、先ず白石城に向かった。
今回はここから奥州街道徒歩の旅のスタートである。

白石城は後三年の役(1083〜87年)の時、源義家に従った刈田経元(かったつねもと)が、戦功により刈田・伊具両郡を与えられ、白石城を築いたのが始まりと伝承されている。

その後、平安時代末期は奥州藤原氏、鎌倉時代は北条氏、南北朝末期以降は伊達氏と変わった。豊臣秀吉の奥州仕置後は蒲生氏の所領となり、益岡城と改称された。
この時に近世の城郭としての体裁が整えられた。

関ヶ原の戦い後は伊達領となり、政宗の叔父石川昭光が入ったが、慶長7年(1602年)に伊達家家臣の片倉小十郎景綱が入り、幕末まで11代260年にわたり続いた。

幕政下では白石城は、仙台城以外では唯一の城としての扱いを受け、
領内南部の要衝として関門的役割を果していた。



白石城跡・益岡公園

丁度桜が満開であった。

この左手が二の丸跡で、白石生まれの横綱・大砲(おおづつ)の像や、
芭蕉の句碑等があった。


大手門
  昭和62年のNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」放送をきっかけにして白石城の復元運動が起こり、平成7年に幕末の三階櫓とこの大手門が復元された。
  大手門は、特に入口が狭まっており、大軍に攻められてもここで敵を迎撃できるようになっていた。


白石城三階櫓

本丸跡からみた三階櫓である。

右手の黒っぽい建物は鐘堂で、伊達郡東昌寺(現仙台市)にあった鐘を移し、
非常時や時刻を知らせる鐘として使われていた。

その手前にある井戸は本丸内にある貴重な井戸であった。


本丸跡・片倉小十郎碑
  本丸跡には片倉小十郎公頌徳碑がある。小十郎は政宗の守り役で、後に政宗の腹心の部下として活躍した人だ。
  秀吉や家康からも特別な待遇を受けた武将であった。NHKの連続ドラマ「独眼竜政宗」で、西郷輝彦がこの小十郎を演じていた。
  なお、このドラマは平均視聴率39.7%で、大河ドラマの歴代トップであった(2010年現在)。


(宮城県白石市益岡町)
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白石城〜白石宿〜宮宿



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