紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 194
大河原町・60金ヶ瀬宿
Hitosh
大高山神社 |
奥州街道60番目の宿場金ヶ瀬宿入口にある延喜式内社である大高山神社。 敏達天皇が即位した敏達元年(571年)の創建という。 祭神は日本武尊、用明天皇(聖徳太子の父)であるが、元来は蔵王山をご神体としていたようだ。 この地方の白鳥崇拝は同社が発祥といわれている。 江戸期までは柴田郡総鎮守として柴田町新開の台ノ山にあったが焼失し、 元禄4年に同地に再建されていたが、大正3年に現在地に移転されたとのこと。 |
大高山神社拝殿 本殿は江戸中期の建物で、施設内には国重要文化財の東北最古の鰐口(永仁1年銘、1293年)や、文治年間(1185〜1189年)に藤原忠衡に寄進された鉄九輪塔(拝殿西側)がある。 また、江戸期の絵馬等が多数残されている。 |
60金ヶ瀬宿町並み |
金ヶ瀬宿の静かな町並みである。 元来、この集落は宮村籠石(かごいし、現刈田郡蔵王町)にあり、 白石城主片倉氏の足軽が境界警備に当たると共に伝馬役を担当していたが、 寛永14年の洪水で流失した為、隣村である平村に知行を与えられ形成されたのが 現在の金ヶ瀬宿の本町である。 さらに享保6年(1721年)に片倉氏の加勢要請で、伊達氏直属の平村の百姓を 本町の東側に移住させ出来たのが金ヶ瀬の新町である。 写真では判りにくいが、本町の家屋は南西の白石城を、 新町は北東の仙台に正面を向けて建てられていう変わった町並みとなっている。 仙台道中歌(馬子唄)に、 長町(ながまち)や中田(なかだ)の馬を増田(ますだ)まで もの岩沼(いわぬま)に槻木(つきのき)の土手 船迫(ふなばさま)恋しき人に大河原(おおがわら) 変わらぬ色を契る金ヶ瀬(かながせ) とある。仙台から順番に宿場が歌いこまれている。 |
古石塔群 街道沿いに古い石塔がある。馬頭観世音と庚申塔は何とか読めたが、他は判別できなかった。 |
金ヶ瀬宿旧家 |
金ヶ瀬宿の街道左側にある旧家。 中央の看板に潟с塔xと書いてある。当主は山家氏だ。 今は造園工事、建築設計を行っているようだ。 ヤンベが気になり調べてみると、「山家」と書いて「ヤンベ」と読むようだ。 地元では名門の家柄で、山家のルーツは南北朝時代に遡るとか。 足利尊氏の流れをくむ斯波氏が出羽山形に城を築き、最上氏と名乗った。 この最上氏に随従し、氏姓を下賜されたのが山家氏の起原とのこと。 ここの山家氏は、最上山家氏の分家で、 最上義光の妹・義姫が伊達氏に輿入れするとき、姫の付き人として来て、 そのまま伊達氏の家臣となったようだ。 |
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