紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 200

大河原町・韮神橋〜柴田町・船岡




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大河原町


韮神橋より上流

荒川に架かる韮神橋を渡る。写真は左側(上流側)を撮影したものだ。
遠く、雪を被った蔵王連山が霞んで見えた。



柴田町町境

韮神橋を渡ると、すぐ大河原町と柴田町の町境となる。

柴田町は昭和31年に船岡町と槻木町が合併して柴田町となった。
古くから発達した町で、周囲の丘陵地に点在する貝塚や出土した土器は縄文時代前期のもの。
室町から戦後時代にかけての城跡や館跡は、町内に10数箇所もある。

なお柴田町は、平成10年、「新世紀の柴田町造り」の一環として、
男女共同参画都市宣言をしている。


船岡町町並み
  柴田町に入り最初の集落が北船岡である。文字通り、船岡城跡のあった館山の北側に展開する町だ。
  館山は四方山とも呼ばれ、山頂から名取、刈田、伊具、亘理を四方に一望でき、仙台平野の南を押さえる要害の地であった。
旧地名・二本杉
  旧街道右側に船岡の「旧地名・二本杉」と書かれた木製の標識があった。江戸時代に一里塚のあったところだ。
  街道両側の塚の上に杉の木が植えてあったことから、二本杉と呼ばれるようになったようだ。


船岡城跡(館山)

白石川に出てみると、目の前に船岡城(船岡要害、四保館、柴田城)跡が目の前に見えた。
館山(四方山)は標高136mの低い山であるが、確かに四方から良く目立つ山である。

なお、白石川土手の「一目千本桜」は、隣の大河原町からここ船岡まで続く桜並木で、
約1200本が植えられている。



(宮城県柴田郡大河原町字町、柴田町北船岡)
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