紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 201

柴田町・62船迫




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柴田町

西船迫交差点
  北船岡を出ると、西船迫(にしふなばさま)に入る。そして、国道4号線の西船迫交差点を渡ると、かつての奥州街道62番目の宿場・船迫宿となる。


船迫宿入口枡形

西船迫交差点を過ぎて、すぐ船迫宿入口の枡形となる。
この先を左折しすぐまた右折となるところだ。

船迫の地名は、奥州合戦の時、船迫長門という武将がここで鎌倉軍相手に奮戦したとか、
白石川がここで大きく蛇行して迫ってくる地形からとの説があるようだが、後者が尤もらしい。

地図をみると良くわかるが、船迫地区は谷戸の奥にあり、
かつては白石川がここまで大きく湾曲していたようだ。

その氾濫源は、今は広い田圃となっている。


船迫阿弥陀堂
  入口枡形を過ぎると、左手の小高い丘の上に船迫阿弥陀堂がある。しかし、ここにあった阿弥陀堂は荒廃したため今は無く、当時の阿弥陀如来座像は後述の大光院に移されているとのこと。
  また、この階段の途中には山神が祀ってあった。


62船迫宿

この辺がかつての船迫宿の中心街である。住所も柴田町本船迫字上町となっている。
右端の店は、塩、酒、食料品を扱っている安藤商店。

宿場はこの先で2番目の枡形となっている。
階段状に枡形が続いているところだ。

なお、写真左手の奥の丘陵上にある松光山大光院(真言宗)は、江戸時代、
柴田郡の真言宗の本寺であった。
寺有の鉄造阿弥陀如来坐像は、文永3年(1266年)に作られたもので、
船迫の鉄仏と呼ばれ、宮城県文化財に指定されている。

鉄仏は、鎌倉時代に関東御家人によって造られた例が多いようだ。


船迫宿出口枡形
  そして、ここが3番目の枡形で、宿場の出口付近となっている。
  街道は、ここで直角に曲がり、次の宿場槻木(つきのき)宿に向かう。  

(宮城県柴田郡柴田町西船迫、本船迫)
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歩行略図
荒川〜船迫宿〜槻木宿〜四日市場



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