紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 216

名取市・植松〜館腰神社




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名取市

植松町並

名取市植松の町並みである。
右側の館腰郵便局の手前を右折すると、JR東北本線の館越駅のあるところだ。

館腰は明治22年に、植松、本郷、堀内、飯野坂村が合併して、
植松にある館腰神社に因んで館腰村と名付けられたかつての村名でもある。


JR館腰駅
  昭和60年に仙台空港へのアクセスと、名取市南部の利便性のために開業した新しい駅で、開業当初は「館腰」に副駅名「仙台空港口」が付いていた。
  しかし、平成19年に仙台空港鉄道の開業により、空港へのアクセスバスは廃止となり、駅名も「館腰」のみとなった。


奥州路道標

街道左側にある館腰神社と弘誓寺(ぐぜいじ)の入口に、
名取市が立てた新しい「奥州路」の案内標識があった。

また、写真右手奥の松ノ木は、説明板によると弘法大使手植えの松で、
「植松」の地名の由来となったとある。


館腰神社
  由来によると、嵯峨天皇の弘人2年(811年)、空海が当地に弘誓寺を建立する時に、京都伏見より分霊し奉斎したとある。明治7年には県社となっている。  
撫牛大黒天、観音堂
  館腰神社と並んで、右側には弘誓寺観音堂がある。弘仁年間(810〜824年)、弘法太子が東北巡錫(じゅんしゃく)の砌(みぎり)、太子自ら観音像を彫り本尊としたのが始まりとのこと。

写真左手前は撫牛(なでうし)大黒天で、文久4年(1864年)の頃の現存する文書に
記録されているものだ。

大黒天は財宝の守り神で、牛はその大黒天のお使いで粗食に耐え良く働くので、
その牛のように質素に勤勉な生活を営み、財を蓄えるようにと教えている由。


(宮城県名取市植松)
1005/1012

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