紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 226

仙台・広瀬川〜仙台城下入口・河原町



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仙台市太白区長町

広瀬橋

長町宿を抜けると、広瀬川に架かる広瀬橋を渡ると、いよいよ仙台城下である。

広瀬橋は、江戸時代は長町橋(永町橋とも)といい、
奥州街道の仙台城下入口にあたり重要な橋であった。



橋姫明神社

広瀬橋の長町側袂に、橋姫明神社がある。

江戸時代、広瀬橋(長町橋)は大水でしばしば流されたので、
長町の伝馬業者が、壊れて流された橋の供養塔(写真左端)を建てた。

また橋を建てるときの人柱になった娘の伝説があり、
橋姫明神社という祠が建てられている。

明治42年に日本で初めてと言う鉄筋コンクリート製の橋(広瀬橋)が完成し、
頻繁な破損と架け替えの歴史は終わり、以前の長町橋の柱を据えた楚石が残されてある。



広瀬川上流

広瀬橋より上流を見た写真である。
大きく蛇行したこの川の左側(右岸)に仙台城があり、右側が仙台城下町となっている。

広瀬川は、仙台市青葉区作並の山形県境の関山峠付近を源流とし、
愛子(あやし)盆地を経て仙台市街を流れ、太白区四郎丸地区で名取川に流入している。

江戸時代は、上流より順番に作並川、熊ヶ根川、野川、愛子川、郷六川、仙台川、
長町川、若林川と呼ばれていた川である。



仙台市若林区

68仙台城下入口・河原町

広瀬橋を渡ると、若林区河原町となる。
旧奥州街道68番目の宿場でもある仙台城下の入口で、木戸のあったところである。

仙台では、武家屋敷町を「丁(ちょう)」と呼び、足軽・町人の住む町を「町(まち)」と区別していた。町は全部で24あり(町方二十四町)、街道に沿ってひと続きに配置され、その24町と
門前町のはずれには「丁切り柵」と呼ばれる関門が設けられていた。

この内、城下への出入り口となる八幡町、原町、堤町と、ここ河原町の柵には
木戸が設けられ、「丁切根(ちょうぎんね)」と呼ばれていた。



丁切根跡図

江戸時代の様子が描かれた絵図が、川原町入口の所にあった。

左端が長町で、広瀬川に長町橋が架かり、仙台側の橋のたもとには五軒茶屋、
街道沿いに河原町並みが続き、その入口には木戸(丁切根)がありと、判り易く描かれてあった。


(宮城県仙台市太白区長町、若林区河原町)
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歩行略図
JR太子堂駅〜長町宿〜広瀬川〜仙台城下〜芭蕉の辻



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