紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 229

仙台城下・三宝荒神社〜荒町



Hitosh



仙台市若林区

三宝荒神社

旧奥州街道は南材木町を北進して、この三宝荒神社の大イチョウの前を左折し荒町に向かう。

三宝荒神社は、鍛冶職人衆の住む南鍛冶町の火伏せの神として建立され、
火伏せの樹木としてイチョウが植えられ、現存のイチョウは樹齢320年、樹高21mもあり、
街道筋から良く見え、目印となっている。

荒神とは、インドで行われた悪神を祀り守護神とする風習が仏教とともに伝来し、
日本で独自に発展したものだ。
不浄や災難を除去する神とされることから、火と竈(かまど)の神として信仰され、
かまど神として祭られることが多いようだ。

境内には、耳権現さまや、天保13年(1843年)と刻まれた山神、湯殿山等多数の石塔が
祀ってあった。
また、筆塚もあった。


耳権現さま
  三宝荒神社の境内にある耳権現さま。堂宇の中は、720年前元寇の役に出陣した勇士の慰霊を供養したと思われる正応3年(1291年)と刻名のある自然石で出来た卒塔婆だ。
  古くは、荒町の仙性院という修験道場境内に安置されていたものを、後になってここに堂宇を建て遷座されたものだ。
  

説明文によれば、耳患いで苦慮していた旅の修験者の夢枕に権現様が現れ、
言われたままに仙性院という修行場にあった卒塔婆に祈ったところ見事に完治したので、
そのご利益に感涙し、この事実を人に教え、耳患いに悩む多くの人々を助けたとのこと。




南鍛冶町町並

三宝大荒神社の前を直角に左折すると、若林区南鍛冶町から荒町に向かう道となる。
荒町は、江戸時代から仙台城下ではひときわ賑やかな町であった。

なお、若林区の区名は、伊達政宗が寛永4年(1627年)に造営した
若林城(現宮城刑務所)に由来している。



泰心院

街道右側にある泰心院は、永禄10年(1567年)に伊達14世種宗夫人の菩提を弔うために、
伊達晴宗が堂宇を建立したのが始まりで、その後、政宗が岩出山、仙台に移動するとともに、
この寺も移されてきた。

現在の泰心院の山門(上写真)は、文化14年(1817年)に造られた
仙台藩藩校「養賢堂(ようけんどう)」の正門を移築したもので、
仙台市指定有形文化財に指定されている。



毘沙門堂

さらに街道を進むと、右側に毘沙門堂がある。
この辺一帯は寺社が多く集められているところだ。

毘沙門堂は寛永20年(1643年)の創建で、写真の唐門は様式手法から
江戸時代中期のものと推定されている。

江戸時代は、この境内は相撲の興行場所であった。


(宮城県仙台市若林区南鍛冶町、荒町)
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