紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 233
仙台・広瀬川〜仙台城大手門
Hitosh
広瀬川 |
芭蕉の辻より、大町を通り仙台城に向かう。 途中、広瀬川の大橋を渡るが、その前に川岸に降りてみた。 写真はその大橋の真下から下流側を撮影したものだ。 元和10年(1624年)、ポルトガル宣教師カルハリオ神父他8名が、 大橋下にあった水牢で、厳寒の最中の水責めにあって殉教したところである。 岩手県水沢市の山奥にいた約60人のキリシタンが、雪の中を仙台ま連行され、 生きて辿り着いたのが9人であった。 改宗を迫られたが、全員がここで殉教した。 |
仙台キリシタン殉教碑 大橋の袂東側にある仙台キリシタン殉教碑が木立の中にひっそりと建てられてあった。これは1971年に建てられたものだ。 |
五色沼・長沼 |
広瀬川に架かる大橋を渡ると仙台城址となる。 左側に五色沼と長沼と名付けられた堀があり、かつての仙台城三の丸があったところで、 現在は仙台市博物館になっている。 |
大手門址・脇櫓(隅櫓) |
大手門址で、右の建物は再建された脇櫓である。 標識に仙台城跡入口と書いてあるところだ。 仙台城が築かれた青葉山(144m)は、北は広瀬川、南と東は深さ50m〜70mの断崖で、 西は深い山林となった尾根筋で堀切により人馬の通行が困難であった。 築城当時は、天然の要害を利用した全国でも最大規模の山城であった。 中世に奥州合戦時の鎌倉方武将千葉氏の一族である国分氏の千代城があったが、 慶長6年(1601年)に伊達政宗が千代城の大改修を行い、名を仙台と改めた。 |
支倉常長立像 |
大手門址の傍に支倉常長立像が建立されている。 この像の背後は、二ノ丸の一部を利用した青葉山公園となっている。 伊達政宗は仙台藩とスペインとの通商や宣教師の派遣を求めて、支倉常長を 慶長18年(1613年)奥州に遣わした。 太平洋、メキシコ、大西洋経由で元和元年(1615年)にマドリードに到着し、 スペイン国王フィリップ3世に謁見、当地でキリスト今日の洗礼を受けている。 その後ローマで教皇パウロ5世に謁見して、ローマ市民権や貴族の称号を与えられた。 しかし目的であった交易と宣教師の派遣は返事が得られないまま、 元和6年(1620年)に帰国している。 幕府のキリシタン弾圧政策のなか、帰国して2年後の元和8年(1622年)に 失意の内に52歳の生涯を閉じている。 |
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