紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 236
JR国府多賀城駅〜多賀城館前遺跡
Hitosh
JR国府多賀城駅 |
JR東北本線の国府多賀城駅北口である。 多賀城駅は地元多賀城市の請願により、平成13年9月に開業したばかりの駅だ。 この駅の背後南口には、多賀城廃寺址と平成11年開業した東北歴史博物館があるところだ。 旧石器時代から近現代までの東北地方全体の歴史を時代別に区分して展示している。 その南口と北口を結ぶ自由通路は「悠久ロマン回廊」と名付けられている。 なお多賀城市は、明治22年の町村制施行に伴い、多賀城村が誕生、 昭和26年に町となり、昭和46年に市となっている。 |
多賀城館前遺跡 |
写真は国府多賀城駅から多賀城館前遺跡(国特別史跡)を俯瞰したものだ。 神亀元年(724年)、多賀城は陸奥国の国府として整備され、 蝦夷(えみし)征討政策にあたった鎮守府が設けられた。 宝亀11年(780年)の伊治公砦麻呂(これはるのきみあざまろ)の反乱で焼失したが、 延暦21年(802年)に再建された。 延暦21年(802年)、鎮守府が坂上田村麻呂によって岩手県胆沢城に移された後も 国府の役割を果たし、北の要衝として、源頼義、義家父子の治めるところとなっている。 南北朝時代には、多賀城に陸奥将軍府が置かれたが、多賀城の陥落後、 将軍府の中心的武将伊達行朝の所領である伊達郡の霊山に移転した。 |
館前遺跡 多賀城館前遺跡は、昭和54年の発掘調査で発見されたもので、平安時代初期(9世紀前半)の建物6棟跡である。 その内の中心建物は4面に廂(ひさし)が付く格式の高いもので、大きさは多賀城政庁正殿に匹敵するものであった。 多賀城に赴任した国司宅、または多賀城に関連する役所と考えられている。 |
館前遺跡復元模型 写真は、館前遺跡を復元した模型の絵図である。 館前遺跡は多賀城政庁との距離は600m、多賀城廃寺とは500mの距離にあり、ほぼ中間に位置している。 台地上に位置する本遺跡から多賀城跡の南東隅までは200mほどの距離となっている。 |
多賀城南門跡辺 |
館前遺跡から多賀城に向かうと、小高い丘となる。 この辺が多賀城の南門につながる外郭築地塀があったところだ。 多賀城の外郭築地塀は約900m四方と広大であった。 多賀城の外郭築地塀には南、東、西の門跡が確認されており、 創建時は簡素な門であったが、奈良時代中頃以降は格式の高い八脚門に変わっている。 |
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