紀行写真集
旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 238
多賀城政庁跡
Hitosh
多賀城南門跡 |
多賀城政庁の正門である南門跡だ。 往時の礎石が発掘されている。 多賀城政庁は約100m四方の築地(ついじ)で囲まれ、中央やや北側に正殿、 その手前両側に東西脇殿が配置され、建物で囲まれた空間は広場となっていた。 築地は、厚さ3m、高さ4mで、土を衝き固めて、その上に屋根をかけた塀である。 |
多賀城政庁跡 |
多賀城政庁跡である。手前は石敷き広場となっている。 多賀城には、時期により異なるが、都から赴任してきた按察使(あぜちし)、国司、 鎮守府高官など20名前後の役人の他、書生、下級武士、工人、兵士等がおり、 全体で1200人位の規模であったようだ。 |
多賀城政庁正殿礎石 多賀城政庁正殿跡礎石である。この礎石を基にして描かれた復元図が下写真である。 政庁での中心的な建物で、礎石式の四面庇(ひさし)付きの建物であったようだ。 |
政庁正殿復元図 正殿復元図のパネルが掲示されていた。ここで、重要な決済や儀式が行なわれていたと考えられている。 |
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後村上天皇、明治天皇碑 政庁正殿の裏側(北側)に後村上天皇御坐之碑(左側石碑)と明治天皇記念碑が並んで建っている。 後村上天皇は、建武元年(1334年)多賀城で義良親王となり、延元4年(1339年)3月吉野に戻り皇太子なり、同年8月に父後醍醐天皇の譲位を受けて践祚(せんそ)した。 なお、践祚とは皇嗣(こうし)が天皇の位を継承することである。 |
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