紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 240

多賀城作貫〜浮島


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多賀城市


作貫地区

多賀城作貫地区から、多賀城外郭の南東部隅に向かう。


外郭南東隅標柱
  左の石柱には、多賀城外郭南東隅と刻まれてあった。右の説明表示にこの先、120mが外郭東南隅と書かれてある。


多賀城あやめ園

坂を下ると正面に、多賀城碑のある小丘が見えてきた。
ここから左側一帯が、多賀城あやめ園となっている。

奈良時代初期から東北地方の中心地として陸奥国の国府、鎮守が置かれていた
多賀城の外郭東南部のここに、アヤメ、ハナショブなど250種200万本が
植えられている。

アヤメ類は、古代からこの辺に自生する多年草で、古くは「多賀城古種」と
言われる品種があったと伝えられている。


浮島神社
  多賀城あやめ園を横断すると、左手に浮島神社がある。
  奥塩老翁神と奥塩老女神の2神を祀った神社だ。創建は不明であるが、多賀城ができたころからあったらしい。 

またこの地は、平安時代に歌枕として詠まれた「浮島」の地である。
陸に浮かぶ島のように見えたことから浮島と言われ、
この辺の現在の地名も浮島となっている。

新古今集で浮島に因む歌として
  「塩釜の前に 浮きたる浮島の うきて思ひの ある世なりけり」
他が残されている。

曽良日記によれば、元禄2年(1684年)に芭蕉も塩竈に向かう途中、
この地を訪れているようだ。


扇畑忠雄歌碑
  浮島神社より、JR国府多賀城駅に戻る。写真は駅前にある扇畑忠雄の歌碑で
  「多賀城に 立ちて落日に 向かひけむ     家持をおもふ まぼろしの如 忠雄」
と刻まれてあった。
  忠雄は元東北大の教授で、昭和17年に赴任して以来、長年にわたり東北の花壇をリードしてきた歌人であった。


(宮城県多賀城市市川、浮島)
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歩行略図
多賀城市・JR国府多賀城駅〜多賀城・政庁跡



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