紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 244

松島・天麟院〜瑞厳寺


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松島町

天麟院
  円通院の左奥にある天麟院(てんりんいん)は伊達五郎八(いろは)姫の霊廟である。
  五郎八姫は伊達政宗と愛姫の長女で家康の6男忠輝の正室となった。しかし高田65万石の忠輝は改易となり、伊勢朝熊に配流となったため離縁し、ここで髪をおろし68歳でその生涯を閉じた。  

五郎八姫とは、母である愛姫が生まれた女子に男名をつけると、
次は男子が産まれるという謂れから名付けたという。



瑞厳寺法身窟

法身窟(ほっしんくつ)は、瑞巌寺拝観受付を通り、左側にある格子の嵌った洞窟で、
鎌倉時代半ばに法身禅師と執権北条時頼が出会った処と伝えられている。

窟内には、時頼の法名碑・当山中興雲居国師行状碑、
三陸海嘯(かいしょう)供養碑等が所狭しと治められてある。

海嘯は広辞苑によると、満潮が河川を遡る際に、前面が垂直の壁となって、
激しく波立ちながら進行する現象とある。
リアス式海岸(三陸)で大潮か津波で大きな被害が出た時の供養塔であろう。

手前の大きな石に刻まれた観音像は、右が楊柳観音、左が鎮海観音と呼ばれている。
楊柳観音は文政6年(1823年)、鎮海観音は寛政12年(1800年)に建立されたものだ。

写真中央右側の青銅製六地蔵塔は、貞享5年(1688年)に建立されたもので、
竿中央部に嵌め込まれた円盤をまわすことによって、地蔵菩薩が六道を輪廻し、
未成佛霊を救済するといわれ、後生車、地蔵車とも呼ばれている。



瑞厳寺庫裏

慶長14年(1609年)銘の棟札を持つ国宝の庫裏(くり)である。
切妻屋根に煙出(けむりだし)を置き、妻飾り白壁と木組みの対照が見事な建物だ。
この庫裏には食堂(じきどう)があり、延暦元年(1326年)の
雲版(うんばん、国重要文化財)がかけられていた。

庫裏の奥の建物は大書院(おおじょいん)で、この左側に本堂があるが、
平成の大修理と言うことで非公開となっていた。

その代わり、大書院と写真右奥の伊達政宗の正室陽徳院(愛姫)御霊屋(寶華殿)が
特別公開されていた。



瑞厳寺石窟群、鰻塚

瑞巌寺石窟群の前に、大正12年に建てられた未だ新しい鰻塚があった。
当時の松島は天然鰻が多量に獲れたことから、
ここに鰻供養のための鰻塚が建立されたとのこと。

石碑の裏側には寄付金を出した北海道から東京までの蒲焼店や
卸問屋の名前が126人も刻まれているという。



(宮城県松島町松島)
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歩行略図
JR松島海岸駅〜松島湾〜五大堂〜瑞厳寺〜JR松島駅



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