紀行写真集



旧奥州街道ぶらり徒歩の旅 270

大衡村・駒場


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大衡村

駒場・戸口

旧奥州街道と合流してからは、急な坂道を下る道となった。
大衡の丘陵地から平地に出る感じで、まさに戸口と言う地名に相応しいところである。

この坂を下ったところの標高は52mであった。
前方に見えるは、駒場字寺田の集落である。

この駒場の地名は、文治5年(1189年)、源頼朝の奥州征伐の時、
この里で駒を休め、兵糧をとったことからとのことだ。


駒場交差点
  前方の交差点が県道16号線(石巻鹿島台大衡線)である。旧街道はここで右折となる。
  この16号線は、宮城県道としては、2番目に長い主要地方道で、国道45号線と国道4号線を結んでいる全長37.9km(国道重複部分を除く)の道である。
雲泉寺
  県道16号線に合流して、すぐ左側に雲泉(うんせん)寺がある。正しくは、曹洞宗神生山雲泉(しんしょうざんうんせん)寺で、天正元年(1575年)に開山、古川にある富光寺の末寺とのことだ。
  ここで、突風と激しい雨が降ってきて、あわてて防雨支度をした。写真の白い影2点は、レンズに付いてしまった雨粒である。
  また、この寺の入口付近に一里塚があったようであるがその痕跡は見当たらなかった。
須岐神社参道
  寺田の集落を抜けると左側に須岐(すき)神社がある。江戸時代までは赤崎明神と呼ばれていた。
  延喜式神名帳に記載されている黒川郡四社の一つで、祭神は素盞鳴尊(すさのをのみこと)である。
  鳥居、門、拝殿、本殿と続いている。


須岐神社拝殿

須岐神社の拝殿は立派である。

初め西方の宮高森上にあったものを、建久2年(1109年)、
地頭の児玉弥太郎がここに遷座した。
社殿は宝暦10年(1760年)、拝殿は大正13年に再建されたものだ。

この拝殿の中には江戸時代からの多数の絵馬が奉納され、
その中の約40枚が今も掲げられている。


(宮城県大衡村駒場字戸口、寺田、下宮前)
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歩行略図
大衡村駒場戸口〜71三本木宿〜北町



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